松本智津夫(麻原彰晃)の嫁や子供の現在!同時に死刑となった幹部は?(2)

松本智津夫と家族.

前回に続き、今度は松本智津夫の妻や子供たちに

ついて調べています。

 

三女の松本麗華さんはドキュメンタリー番組に

出演し、これまでの人生について語っていまし

た。

 

他の兄弟姉妹や妻はどうしているのでしょうか。

 

元妻・松本 知子(まつもと ともこ)

教壇にいた頃の松本 知子

オウム真理教元最高幹部。

(出版事業を行っていた株式会社オウム社長)

 

ホーリーネームはマハーマーヤ、のちに

ヤソーダラーへ変更。

 

旧姓は石井(石井久子=元オウム真理教の幹部で

松本智津夫の愛人=と血縁関係はない)。

 

家庭裁判所への申請を経て松本 明香里

(まつもと あかり)と改名。

生年月日:1958年8月17日(59歳)

出身地 :千葉県木更津市

入信  :1987年

ステージ:正大師

教団での役職:郵政省大臣

 

1994年に発生した薬剤師リンチ殺人事件ポア

(殺害)決定会議に参加していたとして、

1995年に逮捕・起訴されました。

 

1998年5月14日の第一審では懲役7年の判決を

受け、その後遺族への謝罪と賠償を理由に懲役6年

に減刑。

 

和歌山刑務所にて服役し、2002年10月15日に

出所しています。

 

現在は関東地方で、次女や三女らと暮らしている

そうです。

 

子供たち

松本智津夫(麻原彰晃)には12人の子供がおり、

そのうち妻の松本知子の子は6人と言われています。

 

長女

1978年(昭和53年)生まれで現在おそらく40歳。

ホーリーネームはドゥルガー。

教団での地位は”正悟師” 。

省庁制の際には流通監視省大臣でした

 

2001年1月東京・北区でスーパーで万引で逮捕

されているということです。

 

次女:松本宇未(うみ、仮名)

1981年(昭和56年)生まれで現在おそらく37歳。

ホーリーネームはアジタナーター・カーリー。

 

2000年1月、長男を連れ去ろうとした事件で

2月19日に逮捕され、保護観察処分となっています。

 

(逮捕理由は教団施設への「住居侵入」でしたが、

それは教団の実態は酷いと感じた次女が、長男を

教団から救出・保護するための手段であったとの

こと)

 

麻原詐病説などについて四女と真っ向から対立し、

四女はマスコミ受けの良い話をして金を得ていると

批判しています。

 

こちらはブログのプロフィール。

松本 宇未

妹に、松本麗華(三女アーチャリー)と、四女松本聡香(仮名)を持つ。

父には、「カーリー」あるいは「カーリーちゃん」と呼ばれていた。
現在、松本宇未(仮名)を名乗る。

麗華と違い、自分の顔と名前を出す気はさらさらない模様。あきらめ悪く、社会に埋没して生きるという野望をいまだに捨てきれずにいる。

人生に疲れ、ガス欠中。

最新記事は2018年6月10日の(同年6月7日に

見ていますが、この日付です)

父(麻原彰晃こと松本智津夫)と会えなくなって今日で10年

で、松本智津夫死刑囚に会ったときの

様子が書かれています。

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三女:松本麗華(まつもとりか)

生年月日:1983年4月 (35歳)

出身地 :千葉県船橋市

入信  :1987年

ホーリーネーム:アジタナーター・ウマー・パールヴァティー・アーチャリー

ステージ   :正大師

教団での役職:法皇官房長官

関係した事件:麻原彰晃長男連れ去り事件

判決    :保護観察処分

現在の活動 :著述家

 

ドキュメンタリー番組で語られていた内容による

と、父と母が捕まった後は元信者に保護されて

生きてきたようです。

 

しかし学校への入学は拒否され、友人もできず、

通信教育で学業を続けていました。

 

日出高等学校の通信制(単位制)を経て、

2004年に文教大学人間科学部臨床心理学科に入学。

心理学を学び、2008年卒業。

 

その後はアルバイトをしながら心理カウンセラー

勉強を続けています。

バイト先では正体がバレて度々、クビにされています。

 

  • 2004年 – 3月に合格した和光大学を入学拒否したとして提訴。
    東京地裁は「入学拒否は違法」と認定、和光大学に30万円の慰謝料支払を命じる。
  • 同年、逮捕から9年以上たって父に接見。
    別人のように痩せこけ髪も歯も抜け落ち老人のような姿で、それまでは詐病だと思っていたそうですが、面談を重ねても何の反応もなく、精神が崩壊した姿に衝撃を受けたそうです。

 

  • 2013年7月 – ブログを開始、父につき多くを綴っています。
    一時期は3時間に一度は罵倒が書き込まれる状況でした。
  • 2014年1月28日 – オウム真理教元教団幹部の死刑囚4人の間の書籍の受け渡しを仲介していたとして東京拘置所から4人との面会を禁じられていたことが明らかになりました
  • 2015年3月19日 – 『NEWS ZERO』のインタビューに初めて実名で出演。
  • 2015年3月20日 – 地下鉄サリン事件からちょうど20年目に当たるこの日、本名で手記『止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記』を上梓。
    ニコニコ生放送に出演して田原総一朗さんと対談しました。
    動画はこちら。

 

 

 

  • 2017年9月29日 – 読売新聞に対して行った1000万円の賠償請求の敗訴確定
  • 2018年3月19日 – 日本脱カルト協会代表理事・立正大学教授の西田公昭からカルト2世信者と批判される
  • 2018年4月10日 – 2世信者発言について西田に内容証明を送り抗議。
  • 2018年4月30日 – オウム事件被害者の弁護士滝本太郎に損害賠償300万を要求し訴訟を起こす。

 

現在は次女と長男と暮らしているそうです。

 

四女:松本聡香(まつもとさとか、仮名)

1989年(平成元年)生まれ。

現在はおそらく29歳。

ステージは正大師よりも上の正報師

 

茨城県龍ケ崎市に転居した時は、市の方針で

その市の学校の転入拒否にあい、2人の弟共々、

学校にも通えなかったといいます。

 

協力者達のお蔭で何とか学校に通えるように

なったもののいじめに遭い、中学の校長からは

父親の所行を考慮すれば貴方は死んでも仕方のない人間だ

と評されたそうです

 

2003年、教団との関係を保つ家族のあり方に

疑問を抱き、後見人となった江川紹子さんの下に

身を寄せました。

(後に江川さんは後見人を辞任しています)

 

松本智津夫に死刑判決が下る2004年(平成16年)

までは地下鉄サリン事件の詳細を知らず、自ら

インターネットや書籍を調べて、自分に対する

世間の冷たい視線の背景に初めて気付いたそう

です。

 

その後は自殺未遂を繰り返し、ネットカフェ難民

やホームレスのような生活をしながら、贖罪の道

を模索しているそうです。

 

2010年(平成22年)、ペンネーム「松本聡香」名義

で著書『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまった

のか』を刊行。

 

 

2014年(平成26年)のインタビューで、自殺未遂

が続いていると明かし、

死にたいというよりも死ななくてはいけない。
オウム事件について知ってからは、幸せとか喜びを感じるたびに、オウム真理教は普通の人のそういう喜びを奪ってしまったのだなと感じざるをえない。

と語りました。

 

三女の松本麗華さんに対しては、

姉は被害者に対して謝罪していない。
本の内容はでたらめで私の知っている真実とは異なる。

と述べて非難しています。

 

2017年10月、実父・松本智津夫(麻原彰晃)

実母・松本知子に対して相続廃除を申請し、

横浜家裁が認める審判をしました。

 

2017年11月のインタビューより

2006年1月より家族の元を離れ、信仰とも完全に決別し、社会で生きてきました。

事件が起きて、両親をはじめ、信者が逮捕されたのは、私が5~6歳の時のことでした。

私は2~3歳の時から窓もない倉庫のような一人部屋で生活していました。
弟が生まれると、母から「ここには、もうあなたの居場所はない」と追い出されたのです。
父親のことを、私は今も昔も父親とは思えません。
私が生まれた時、父は既に教祖であり、「グル」でした。
私は一度も直接、「お父さん」と呼んだことはありません。
最初から尊師でした。

(陶器の)破片入りのオムレツを食べさせられたり、真冬に薄着で外に何時間も立たされたり、何度か父の命令で死にそうになったことがあります。

両親が逮捕されてからも、お付きの信者によって普通とは違う暮らしをさせられました。
8歳から10歳ぐらいの時はヘッドギアを24時間かぶらせられ、食事は毎日、卵のおかゆだけだったこともあります。
身長が伸びなくなり、肋骨(ろっこつ)の内側に手が入るほどやせたこともありました。
テレビは禁止で、父のビデオテープが24時間流されていました。

熱湯風呂にも7歳の頃から入らされました。
年齢が上がるに連れて温度や時間が増やされます。
出ようとしたら押さえ付けられて意識がなくなったこともありました。
私も熱湯風呂で命を落としていても不思議はなかったのです。
今考えると、本当に現代の日本とは思えない環境でした。
逆らったら殺される恐怖もあったので、16年間、戦場にいるかのような緊張が続きました。

教祖の子どもでさえ、悪い環境で育ったのです。
他の信者の子も本当につらい環境だったことでしょう。
オウムの後継団体で育つ子どもがいなくなることを強く願います。

今の日本では親との縁をなくす制度がないので、現行法においてはできることはしましたが、まだ障害が残っています。
戸籍で家族とつながっていることと、親の記載があることです。
著しく問題がある親との縁を切れる制度があったほうが良いと私は思います。

父が首謀した一連のオウム事件の被害者の方や、ご遺族の方には常に心より申し訳なく思っています。
オウムの後継団体には、誠意をもって謝罪と賠償をしてもらい、社会の不安をなくすために早く解散してほしいと思います。

Q. 今回の審判で認められた感想を。

自分の中に見えない縛りというか、障害みたいなものがあり、それが審判が出て消えたとの実感がありました。

--申し立てをした時の心境は?

私は自分の権利を主張するのは好きではなく、権利は分け合うものだと思っていました。
相続権を奪うので、すごく悩んだ。
ただ、どうしても、生きるために必要だったので、覚悟を決めて申し立てました。

Q. 今、両親についてどう思うか?

産んでもらった恩はあるけれども、育ててもらった恩はない。
産むだけが親ではない。
生みの親ではありますが、親として心に思い浮かべることはない。
死刑執行については、望むことは思っていないし、言ってません。
ただ、父の罪の重さを考えると、死刑執行以外に責任を取る方法が無いと思うので当然だと思うし、執行されるべきだと思っています。

Q. どのような親子関係を築きたかったか?

父については、私が14歳の時に死刑判決が出た。
だから、親子関係を築ける希望がなかったので、思ったことはない。
母については、幼い頃に育児放棄とか、ひどい言葉とかを受けてはいたが、出所してくるまでは、母が親らしいことをしてくれることをすごく希望のように思っていた。
逮捕時に思い出が美化されたこともあり、今はつらいけど、母が帰ってきたら違うはずだと思いました。
しかし、母は帰ってきてからも離婚もせず、教団の環境の中で私を育て続けた。
それだけはやめてくれていたら、母のことを親として認めていたかもしれない。

Q. 今後の生活について

複雑な立場で、いろいろな方にお世話になったので、その分を社会貢献というか、人の役に立てる仕事とかできたらいいなと思う。

Q. 昔と今とで変わったことは?

変わったことばかりで、いろいろあって、何を言えばいいか分からないが、習慣ですかね。
オウムの中にいるときの生活と、社会の普通の生活とは全く習慣が違う。
洗脳が解けたと思っても、習慣を変えるのは難しい。
例えば、見たことないテレビを生活に取り入れようとしても、どう見ていいかわからずに戸惑いを感じる。
美容院に行ってみても、どういう感覚でいけばいいのか、よく分からない。
初めて美容院に行ったのが、16歳の時だった。
普通のことをやろうとしても、どうやっていいのか、戸惑う。

Q. 教団の後継団体について

両親よりも、お付きの信者といた時間が長く、すごく洗脳された。
例えば「子供は社会で生きていたことがないから、社会では適用できない」などと、ずっと言われた。
子供を教えから離れさせないようにしてきたのは、お付きの信者。
歌とか説法のテープを24時間流されて聴いていると、教団を出てからも何か聴こえるような錯覚に陥る。
それがなくなったのが22~23歳の時ぐらい。

Q. なぜ洗脳を解くことができたのか?

教団を出ても、自分が堂々としていられないのが、なんでなんだろうと思っていた。
これが自分ですと胸を張って言えないのはなぜなんだろうと。
小さい頃から洗脳されていたことは、それが唯一の真実で、正しいと思っていた。
でも、正しいと信じていることなのに、なぜ堂々とこれを信じていると言えないのかと考えた。
あとは、うそをついている他の人たちと同じような人間になりたくないとも思った。

Q. 事件を知らない若者の世代が新たに信者に加わっていることについて

時の流れとして、事件が風化していくことは仕方がない部分もある。
ただ、事件の前からオウムはうそが多かった。
今も多分、事件のことを疑問に思う人がいても「それは過去のことで今は変わったよ」と誘われるのだろうなと。
オウムのうそつき体質、性的なことや暴力で支配する体質も変わっていないので、後継団体が言っていることをうのみにしないで、自分で調べて考えてほしい。

Q. 父母に対して言いたいことは?

母には、弟が普通に生きていけるように、弟の人生を台無しにしないでほしいと言いたい。
父には、裁判では事件のことは明かされたが、動機については明かされていないので、いつから、そういう事件を起こすようなことを考えていたのか、最初は偶発的だったのか、あるいはもともとあったのか、それは聞いてみたい。

Q. これまで支えてくれた人について。

精神的に不安定で自殺しようとしていた私に、「事件とあなたは関係ないじゃない。償いたいならば、生きて償いなさい」と言ってくれた友達など、そういう人とのつながりで洗脳から抜けられたこともあるし、抜けてから助けられたこともある。

Q. 今後はオウム問題とかかわるつもりなのか、全く縁をきりたいのか?

一人の人間として生きていきたいと思っています。

 

現在は教団との関係を絶ち、家族と離れに

生活しているようです。

 

長男

1992年(平成4年)生まれ。

現在おそらく26歳。

教団から皇子、猊下の称号を与えられました。

1996年(平成8年)6月に教団の教祖に。

 

四女と次男同様、学校に籍を置くことが許されず、

ほとんど学校に通わせて貰えませんでした。

 

姉や弟共々、晴れて2001年4月から正式に学校に

通うことになったのですが、始業式の日はテレビ

局や新聞記者等が駆け寄ったため、協力者が追い

払う騒ぎに。

 

それでも学校生活では、次男同様友達は出来た

ようです。

 

2014年10月24日、Alephに対し、名誉棄損による

損害賠償4000万円の請求、ならびに写真と名前の

無断使用の禁止を求める提訴を、東京地裁に起こし

ました。

 

テレビ東京に対しても父・智津夫の後継者のように

報道されたとして訴訟を起こしましたが、

2018年3月15日に敗訴。

 

次男

1994年(平成6年)生まれ。

現在はおそらく24歳。

教団から皇子、猊下の称号を与えられました。

1996年(平成8年)6月に教団の教祖に。

 

小学1年生は1学期しか登校しておらず、その後は

茨城県龍ケ崎市に引越しました。

 

四女と長男同様、学校には通えませんでしたが、

協力者のお蔭で、小学2年生から学校生活を

正式にスタートしています。

 

2004年(平成16年)秋、拘置所で父と対面し

「会えてうれしいです」と声をかけたそうですが、

返事はなかったとのこと

 

2006年、春日部共栄中学校に合格したものの、

「麻原の息子」だという理由で入学を拒否されて

います。

 

これに対し、「憲法で禁止された不当な差別に

よって精神的苦痛を受けた」として、共栄中学校

に損害賠償を求める訴えを起こています。

 

松本智津夫には12人の子供がいたと言われていま

すが、四女の松本聡香さんは著書にて

父の子供は15人いると聞きました。
父は4人の女性に自分の子どもを産ませたそうです。

と綴っています。

 

さらに

(父には)延べ100人の愛人がいたと思われます

と暴露しています。

「ダーキニー」と呼ばれる愛人部隊がいたと

いいます。

 

松本智津夫の最後の状態

裁判では、松本元死刑囚は無罪を主張していたの

ですが、だんだん意味のわからない発言を繰り返

すようになっていきました。

 

平成18年に死刑が確定しましたが、裁判所の依頼

で接見した精神科医の意見書によると、彼は

独り言を繰り返すか無言でいる状態で、入浴や

運動は職員の介助が必要な状態。

 

二女や三女の証言にあるように、ここ数年は

家族や弁護士が面会に来ても応じず、意思の疎通

ができない状態だったそうです。

 

はっきり言うと、尿や便も垂れ流し状態で、もは

や人間の体を成していなかったということです。

 

このような状態になったのは、自然なことではな

く、食事に何か薬を入れさせられたという元職員

の証言があるとか、薬品を注射したという医師の

証言があるといった話もあります。

 

なぜエリートたちは次々に洗脳されたのか

一番不思議だったのはここなんですが、

マジシャンの方々はよく、「絶対に騙されないと

思っている人ほど騙しやすい」と言います。

それに近いものがあるのかもしれません。

面白い対談があったので、リンクを貼っておきま

す。

 

オウム真理教の信者の洗脳を解いたという脳科学

者・苫米地英人とまべちひでとさんと康芳夫こうよしおさんの対談です。

康 芳夫
1937年5月15日 – (81歳)は、日本のプロデューサー。
自称「虚業家」。
“伝説のプロデューサー”という異名でも知られる。
東京大学卒業。

【オウム真理教の真実】LSD弁当、麻原彰晃のヨガ技術、脳梅毒…! 脳科学者・苫米地英人と康芳夫が徹底対談!

この中に、次のような部分があります。

では、オウム真理教の教団幹部がほとんど、医者や理論物理学者等の超エリートばかりが集まってたことについてはどう考えますか?

 

苫米地

新宗教団体が法曹界のエリートをリクルートするのと同じで、意図的にエリートを選んで入会させてただけですよ。
よく勘違いされるのは、“オウムの教義が頭のいい人たちにとって魅力的だから彼らが入信した”っていう説明。
でも、そうじゃないんです。
オウム側が大学の医学部とか、東大とかを選んでリクルートしてたんです。

もっと詳しく述べていますが、ちょっとここでは

書けない内容なので、興味のある方は読んでみて

ください。

 

神秘体験

なぜ彼らが洗脳されてしまったかについては、

一つには実際に神秘体験をした、ということが

大きいようです。

 

光を見たとか、前世の自分が見えたとか、様々な

体験話があるのですが、実はこれは、意識的に

作り出すことができるものなのです。

 

「変性意識体験」という状態なのですが、感覚を

遮断したり、身体を飢餓状態にしたりすることで

正常な意識で物事を判断できない状態にすると、

幻覚を見やすくなるようです。

 

「修行」という名目でその状態にし、幻覚を見さ

せれば、「本当に体験した出来事だ」ということ

で、信じてしまったのでしょう。

 

神秘体験って、してみたいと思いませんか?

彼らは純粋で世間知らずなところもあったように

思えますから、意外とすぐ信じてしまったのかも

しれません。

 

前出の苫米地氏は、オウムシスターズを洗脳から

解く時に、「神秘体験は特別なことではない」と

わからせるために、とても美しい幻想を見せたと

おっしゃっています。

 

オウム真理教は、教団になった後は、感覚遮断の

ためにヘッドセットを付けたり「オウム食」とい

うカロリーの低い食事を摂ったり、性欲を制限

たり、最後にはLSDまで使って、強制的に幻覚を

見させていました。

 

最近のニュースでAleph(アレフ)の修行の様子

が映っていましたが、またヘッドセットをつけて

いたようです。

 

 

松本智津夫に関しては、これからのためにも、

もっと研究されるべきだったのではないでしょう

か。

 

あまりにも世間から隔離されすぎて、肝心の

教祖である彼自身について、捕まってからの

姿がわからなさすぎます。

(だから陰謀説も出てくるんですよね)

 

松本智津夫(麻原彰晃)の死刑が執行された

というニュースが流れたと思ったら、

他の幹部の死刑執行も一気になされていました。

1日にこんなに死刑が行われたことって、

戦後にあるんでしょうか。

 

戦後から今までに、約600人が処刑されている

ということです。

 

遺体はどうなったのでしょうか。

 

お子さんたちは、やっぱりどこか複雑な思いを

抱えているんじゃないかな。

想像もつかないことではありますが…。

 

まとめようがなくなってしまいました。

読んでいただいて、ありがとうございます。

まとめ

天変地異やあまりにも凄惨な事件が続いて、

オウム真理教の事件のことをすっかり忘れて

いました。

 

この死刑執行によって、思い出されたように

また何か起こったりしないといいのですが、

以前からそのような心配はされていましたね。

 

しばらくは注意が必要なのかもしれません。

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