栗原恵は怪我で引退説も代表復帰の可能性?性格や兄妹も調査!

栗原恵の顔写真

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プリンセスメグも今年で33歳。

”メグカナ”の片割れ、大山加奈さんは7年前に

引退して解説者として活動したり、バレーボー

ル教室を開いています。

 

でも栗原恵さんはいまだ現役!

スポーツの世界は、本当に現役の寿命が短く、

もしかすると、プロを目指して頑張っている

学生時代から、第二の人生をイメージしておく

べきなんじゃないかと思う今日この頃です。

コンディションは相当いいいです

と、今年のプレミアリーグの当初からフル出場

している栗原さんは、

「いらない」って言われてもおかしくない年齢だということは自分でも自覚しているので、その中で、こうして今もいられるのは嬉しいなって思います。

と、クールに自分を見つめているようです。

今日はそんな栗原恵さんを追ってみます。


栗原恵さんのプロフィール


愛称  :コウ、メグ

出身地 :広島県佐伯郡能美町(現江田島市)
*江田島市 → 広島県の西部、瀬戸内海島嶼部
とうしょぶ

(大小様々な島)に位置する市

生年月日:1984年7月31日(33歳)

身長  :187cm

体重  :68kg

血液型 :B型

ポジジョン: ウィングスパイカー
(主にスパイクを打つ役目をする選手)

指高  :241cm

利き手 :右

スパイク:305cm

ブロック285cm

所属  :日立リヴァーレ

2012年から、LDH(芸能事務所)にも所属。

 

「性格悪い」説も一人歩きしている栗原さんです

が、ご本人も、

昔はつらすぎてプレッシャーに負けないようにするために、ツンツンして隠していた。
クソ生意気だった。

と認めています。

若さからくる不器用さみたいなものかな。

では昔を振り返ってみましょう。

 

保育園時代

瀬戸内海
能美島の保育園に通っていたが、行くのがいやで

いつもぐずっていたそうです。

 

3歳年上のお兄さんはとてもやさしくて、いつも

後をいつも追いかけていて、今でもとても仲が

いいとのこと。

いいなあ、私もお兄さんが欲しかったからなあ。

 

小学生時代

能美町立鹿川小学校。

両親の影響で、4年生からバレーボールを始めた

そうです。

 

お父さんは、栗原さんが通っていた小学校のスポ

ーツ少年団”鹿川フラワーズ”というところでコー

チをしていて、栗原さんもそこに入りました。

 

中学校時代

1年次は能美町立能美中学校

中学1年で身長が176cmを超える。

 

バレー留学

2年生の時(1998年6月)、バレーが上手くなりたい

との一心で島を離れ、兵庫県姫路市の大津中学校

にバレー留学。

 

中学の近くにマンションを借り、友人の家族にお

世話になりながら学校生活をしていました。

 

大津中学校のバレーのレベルは、栗原さんの想像

を超えるほどレベルが高く、「好きなだけでは続

けていけない」と感じ、コンプレックスのかたま

りだったといいます。

 

母親からは「いつ家に帰ってきてもいいからね」

と言われていましたが、「意地でも帰らない」と

頑張り抜いた栗原さんでした。

 

高校時代

山口県防府市の三田尻女子高校(現・誠英高校)。

1年生時にインターハイ・国体・春高バレー優勝

高校3冠をとっています。

 

2001年、キャプテンとしてインターハイ決勝に

み、大山加奈キャプテン率いる成徳学園と戦い

準優勝。

 

「西の栗原、東の大山」と評されてたそうです。

 

2002年、3年生で日本代表となり、日米対抗に

出場しました。

 

一人暮らしの青春時代

一人暮らし
中学生の頃から親元を離れて暮らしていた栗原

さんは、友達が「両親がうざい ! 」というのを

聞くと、「なんてぜいたくなことを言っている

んだろう。もったいないことをしているな」と

思っていたそうです。

 

実家に帰るたびに、両親やお兄さんに悩みを

相談していたといいます。

 

お母さんからの手紙には、

メグは頑張ってるんだから、これ以上頑張りすぎなくていいからね

と書いてあったとのこと。

 

不安とプレッシャーに押しつぶされそうになる

と、お母さんの手紙を読み返していたそうです。

家族は何も言わなくても気持ちを悟ってくれる大事なこころのよりどころだと思います。

近くにいてくれるだけで安心できる存在です。

本当に、仲の良い素敵なご家族ですね。

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Vリーグ

2003年、NECレッドロケッツに入団。

同年11月、ワールドカップ大山加奈さんと共

『メグカナ』と呼ばれ、全国的に人気が出ま

した。

 

2004年、パイオニアレッドウィングスに移籍。

第11回Vリーグは規定のため参加できませんで

した。

 

同年、アテネオリンピックに出場し5位入賞。

 

2005-06年、第12回Vリーグは開幕戦から出場。

パイオニア2季ぶりの優勝に大きく貢献し、最高

殊勲選手・サーブ賞・ベスト6賞を獲得。

 

同年、2年ぶりに全日本代表に選出されますが、

合宿中に左足有痛性分裂種子骨障害となり離脱、

約半年間のリハビリ生活を送っています。

 

2007年9月、アジア選手権で24年ぶりの優勝に大

きく貢献。

 

2008年、北京オリンピックで、全日本代表のエー

スとして活躍し、5位に入賞。

 

2009年、秋のグラチャン2009左膝半月板を断裂

2010年、3月中旬に半月板の手術を行い、半年間の

リハビリに励みました。

同年10月、世界選手権に出場し銅メダルを獲得。

 

2011年1月上旬より左膝の違和感を覚え、2月下旬

左膝軟骨損傷を手術

同年6月、治療に専念するためパイオニアを退団

 

同年9月3日、ロシアスーパーリーグのディナモ・

カザンに移籍(2012年3月に退団)

 

2012年、ロンドンオリンピック代表から外れて

しまいます。

 

同年7月11日、岡山シーガルズへ移籍。

 

2013年2月、28歳で、 右膝前十字靭帯損傷

2014年6月、岡山シーガルズを退団

同年9月、日立リヴァーレへ移籍。

 

2016年、通算出場試合数が230試合となり、

Vリーグ栄誉賞の受賞資格を得ています。

 

怪我との戦い

二度の五輪出場を果たし、プリンセスメグなどと

呼ばれて華やかに見える栗原恵さんですが、2010

年以降は特に、怪我と復帰を繰り返してきていま

す。

 

その間には、引退を覚悟するほどの怪我と手術、

長いリハビリを経てきました。

 

そして昨年、開幕に向けて調子のよかった栗原

んに、またも異変が。

 

9月の終わり頃、それまで経験したことのない頭痛

や倦怠感に襲われ、ひどい時は横になっても寝るこ

とすらままならなかったのに、周囲に心配させまい

と練習を続けていたそうです。

 

体調不良を心配したトレーナーに付き添われ、病院

へ向かうと、そのまま2週間の入院を余儀なくされ、

3カ月間、練習にも参加できませんでした。

『解雇して下さい』って何度も言いに行きました。


 

あまりの申し訳なさに、そう訴えた栗原さんを支え

たのは「バレ―ボールが好きだ」という思いでした。

そして、彼女を引き止め、支えてくれる人たちがい

たこと。

 

「好きだけじゃできない」と最初に思い知らされた

のが 中学生時代。

その時は仲間や家族に支えられました。

 

20年近くたって、また挫折しそうになった時、最後

に彼女を支えたのは「バレーボールが好きだ」とい

う思いと仲間だったとは。

 

なにかをまっすぐにやってきた人の、皮肉なようで

優しいような、不思議な運命を見る思いがします。

ケガをしてすぐの頃は、ケガをする前の自分と比べてしまって、葛藤が大きすぎて悩みました。

でも今は違いますね。

ケガをする前と今、体も感覚も違って当たり前。ケガをして、手術もして、リハビリもして痛みがなくなった今の自分の体でベストを見つけないといけないなって思えるようになりました。

 

スポーツ選手でなくとも、私たちはだんだん身体の

機能は衰えて、昔のように動けなくなった自分に対

して自信を無くしたりします。

 

若い頃は休めば回復しますが、だんだん身体が自分

についてこなくなるんですよね。

 

しかもスポーツ選手というのは、健康のためにやっ

ているのではなく、怪我と隣り合わせのギリギリの

ところでやっています。

「体にいいから運動している」のではないわけです。

自分の中ではこれがマックス、100%です


 

そう私も言えるくらい 、日々生きているだろうか。

なんだか考えさせられてしまいました。


ここまで泥臭く続けるとは、自分が一番、思いもしなかった

 

という栗原恵さんの言葉が、とてもかっこよく聞こ

えてしまいました。

 

栗原さんが怪我と戦っている間に、エースのポジシ

ョンに着いた木村沙織さんも先に引退しました。


どうするんだろう。

先は全然見えないし、これからどうなるのか、怖さもあります。

でもこれから決めて行けるっていう楽しみもあるし、あまり悲観的にはとらえていなくて。

ただ、やり残したことがあるからずっとやっているのかと言われるとそうではないかな。

一通りの経験、いい時も悪い時も経験したし、つらい思いも確かにしたかもしれないけど、その分いい思いもしてきた。

そう考えると、辞める時にも後悔は残らないのかなって。

 

年齢を考えると、2020年の東京オリンピック

栗原さんがコートに立つというのはおそらく難し

いでしょう。

 

でも私としては、栗原さんには何らかの形で関わ

っていてほしいですね。

 

そしてその先も、泥臭く生きる栗原恵さんを見た

いです。

お兄さん

最後に、両親とともに栗原さんを支えてくれた

お兄さんについてです。

 

お兄さんは美容師さん。

して呉市に住んでいるそうです。

 

 「ひな」という名前のお嬢さんもいるようで、

栗原さんは休暇で帰った時に、ひなちゃんに会う

のをとても楽しみにしているとのことです。

 

2008年に、第5回「The Beauty Week Award」

栗原さんが選ばれた時、「4年前から美容師の

兄にカラーとカットをしてもらっている」とおっ

しゃっていましたが、今でもそうなのかな?

 

栗原さんのブログには、ご両親やお兄さんの

写真が載っています。

「兄」

「父」(お母さんも一緒です)

 

お母さんと栗原さんってそっくりですね。

お父さんもお兄さんも、かなりひょうきんな

ところがあるみたい。

 

それにしても、こんなに仲のいい家族って、

そんなにいないんじゃないかな。

可愛い大盛梢 や妖精サビーナetc.美人バレーボール選手たち


まとめ

栗原恵さんの強靭な精神力は、ご両親譲りでしょ

うか、それとも島で培ったものなんでしょうか。

あるいは、バレーボールを続けてきた中で身に

つけたのかもしれません。

こんなに頑張り屋で、家族思いで仲間思いの女性

って、そうそういないんじゃないかな。

これからの彼女を支えてくれる人、誰か現れない

かなー。

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