小袋成彬の経歴!家族や彼女は?出身高校や大学はどこ?(動画あり)

小袋成彬の上半身


宇多田ヒカルさん(34)が、初の新人アーティスト

をプロデュース!

小袋成彬さんという方です。

 

新人といっても、彼は自身で音楽レーベルも設立

しているし、他のアーティストのプロデュースも

している方。

 

デビューアルバム「分離派の夏」は4月25日発売

ですが、その前に小袋成彬さんとはどういう方な

のか、調べてみることにしました。

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小袋成彬さんのプロフィール

本名  :小袋成彬(おぶくろなりあき)

別名   :OBKR

出身地 :埼玉県浦和市

生年月日:1991年4月30日(26歳)

【ジャンル】

  • R&B
  • オルタナティヴ・ミュージック
  • J-POP
  • ヒップホップ

 

【職業】

  • 作詞家
  • 作曲家
  • 歌手
  • 音楽プロデューサー
  • Tokyo Recordings 代表取締役
  • ミュージックビデオ監督

活動期間 :2013年 –

【共同作業者 】

  • 小島裕規
  • 酒本信太
  • Capeson
  • 綿めぐみ
  • 國本怜
  • 80kidz
  • 宇多田ヒカル
  • BOMI

公式サイト 小袋成彬/OBKR

レーベル: Tokyo Recordings
エピックレコードジャパン

 

家族

お父さん、お母さんと、妹さんがいるよう

です。

経歴

私は小袋成彬と申します。

25歳(2016年当時)の音楽プロデューサーです。

肩書きは重苦しいですが、実際はただの音楽オタクです。

大学卒業後に放蕩しながら趣味の音楽制作を続け、面白半分で作り続けた楽曲を本当に面白がっていただき、昨年Tokyo Recordingsという小さな音楽レーベルを友人と興しました。

作曲やプロデュースが主な仕事で、水曜日のカンパネラの「ナポレオン」や宇多田ヒカルさんの「ともだち」にもコーラスで参加しております。

仕事同様、しがらみ関係なく好き放題に書かせていただく所存です。

よろしくお願いいたします。

出典:ELLE ONLINE/CULTURE「平成生まれプロデューサーの音楽放談」

 

小袋さんは、小さな頃からお父さんのギターを

借り、お父さんからコード譜を渡されたりして、

音楽に親しんでいたそうです。

 

中学・高校

立教新座中学校・高等学校

中学・高校生時代は野球部員で、音楽とは

全く関わりのない生活を送っていたみたい。

解体工事のバイトもしていたといいますから、

けっこう肉体派だったようですね。

 

大学

立教大学経営学部

大学に入ると、1年生の頃からコピー・バンドの

メンバーとして活動していました。

 

2013年、大学在学時にトラックメイカーの國本怜

さんとともにN.O.R.K.を結成し、ボーカルを担当。

その声はジェイムス・ブレイクハウ・トゥ・

ドレス・ウェルなどと比較されるファルセット

ボイスで注目をされたようです。

 

James Brake

How to Dress Well

 

 

 

2013年 夏
当時私は大学4年生でした。

就職活動が手につかず、クーラーのよく効いた真っ昼間の実家の居間で悶々とする日々。

前橋育英高校の快進撃を虚ろな目で見つめながら、季節にいよいよ合わなくなったリクルートスーツを箪笥にしまい込んだ2013年の夏。これが全ての始まりでした。

捨てきれない音楽への念を胸に、友人を潮見のホテルに呼び出し三日三晩ホテルで書き上げた曲をYoutubeにあげたところ、ざわざわとした反響があり音楽ユニット・N.O.R.K.を始めます。

当時全盛だったIndie R&Bの文脈にクラシックの要素を取り入れたこと、そしてギリギリで現役大学生だったキャッチーさも相まっていろいろなメディアから取材依頼をいただくようになり、不思議な音楽人生がスタートしました。

そこで初めて、CDはなぜ作るべきなのか、そしてプロデュースとはどういうものか、身の丈レベルで体感できました。

そして、大学時代に本気で勉強していた経営学を音楽分野に持ち込んだらどうなるのか、人生をかけた大実験が始まります。

出典:Tokyo Recordings「OUR HISTORY」

音楽生活

2014年 初春
茗荷谷スタジオ

実家を飛び出し、茗荷谷の曹洞宗のお寺で下宿を始めます。

水道とガスが止まった5畳ほどのスペースで、音楽レーベル・Tokyo Recordingsはスタートしました。

総額5万円にも満たない小さな音楽機材を持ち込み、夜な夜な酒本と音楽について語り合います。

毎朝8時にアルバイトに向かい、夕方過ぎに帰宅したあと、学校帰りの酒本と時間をわすれて音楽制作

23時に閉館する地元の銭湯にいつも間に合わず、1週間で2回ほどしか風呂に入れない時期もありました

土日は日雇いの土方バイト。リソースはほぼゼロ。ひたすら自分たちの音楽を信じるのみ、お金も機材も時間もありませんでした。

そんなとき、手を差し伸べてくれたのが、小島です。

彼の温情にあやかり、彼の素晴らしいプライベートスタジオを間借りすることになります。

そんなセカセカとした日々の中で、いつくるかわからないチャンスをじっと待ち構え、寺に蔓延る諸行無常の空気感もふんだんに込めて「人生運とタイミングさ、それが来るまで待つのさ。」と綿めぐみに歌ってもらったところ、これも運良く人々に届くようになり、同時に仲間の結束力が少しずつ強まっていきました。

出典:Tokyo Recordings「OUR HISTORY」

 

2014年5月、ミックスにキエるマキュウ

Illicit Tsuboiを迎えて1stミニアルバム『ADSR』

をリリースし、翌年9月に活動を休止。

 

 

2014年9月、平成生まれのクリエイターのみで

構成した音楽レーベル{Tokyo Recordings}を

設立します。

 

 2014年 冬

小島くん(取締役)

音源制作はもちろん、営業からプロモーション、ビデオもDIY、CDの梱包から配送まで一通りまずやってみて、酸いも甘いも、いままで見えなかった問題点や業界の空気感も理解できるようになってきました

新しいことにもいろいろとチャレンジしてみました。

CDのないCDから始まり、2chまとめサイト風歌詞サイト、手紙でCDを包んだり、日本初の簡易VRミュージックビデオを作ったり…うまくいったものもそうでなかったものも、すべてが新鮮でドキドキしました。

もちろん大失敗も数知れず。

ギャラで揉めたり喧嘩別れしたり、最近だと15万円ほど誤発注したり…死なない程度になんとかうまくやってます。

特に流通に関してはつながりも知識もゼロ。

いろいろな方にご協力をいただきまして、なんとか制作~流通までのプロットは描けるようになりました。

こうして地道な活動が身を結び、所属アーティストの全国展開も決まったタイミングで、著作権管理やらプロモーション費用やら個人では賄いきれない壁にぶち当たりました。

そこで今回法人化し、次の大きなステージで勝負することになったわけです。

 

Tokyo Recordingsとしては、レーベル所属

アーティストの綿めぐみCapesonの他にも

OKAMOTO’S柴咲コウきゃりーぱみゅぱみゅ

Keishi Tanakaなどの作品に関わる傍ら、

ヘーベルハウスNIKONTOYOTAなどの企業

のPR映像・音楽も担当しています。

 

平成27年(2015年)9月 、Tokyo Recordings

株式会社Tokyo Recordingsになります。

2015年 秋

法人化に関して、このご時世で音楽で起業なんて中々大胆だなあと、冷静に思います。

心持ちとしては、ギラギラしているのはもちろんですが、言ってしまえば結婚する前に、むさくるしい男どもと、か弱な少女の人生を背負っているわけですから、責任と重圧で押しつぶされそうになっているのが本音です。

しかしながら今のTokyo Recordingsは、メジャーの力に負けず劣らずの制作環境、情報感度の高いプロデューサー陣と知恵を出し会える組織構造、しがらみのない特有の立ち位置、後先がないスリル感、そして無償の愛をあたえてくれる関係者の方々がいる時点で、次の世代を担えるような素晴らしい組織になると確信しています。

 

2016年9月には宇多田ヒカルのアルバム

『Fantome』収録曲の「ともだち」に客演参加。

NHKの音楽番組『SONGS』へも出演するなど、

知名度を大きく上げました。

 

コムアイさんとの出会い

水曜日のカンパネラにも楽曲提供をしています。

小袋さんとコムアイさんは、とある誕生日会で

知り合ったそうです。

 

当時、小袋さんは大学生、コムアイさんは高校生。

その後、年に一度くらいの割合で会って近況報告

をしていたそうですが、コムアイさんは当初、

音楽活動をしていると言っていなかったとか。

音楽を始めたのに、うまくいかなくてやめましたっていうのは超恥ずかしいから。

軌道に乗ってみんなの目に入らないと認められないから、それまでは黙っておこうって思って。

4年後のある日、一緒にご飯を食べていたら、

「あたし、音楽をやるんだ~」と打ち明けたんだ

そうです。

 

そして依頼がきたのが「ナポレオン」

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宇多田ヒカルさんとの出会い

 

きっかけは、小袋さんが宇多田ヒカルさんの6th

アルバムFantome(2016)の収録曲である

「ともだち with 小袋成彬」に参加したこと。

 

 

宇多田さんは、その歌声にほれ込み、

この人の声を世に送り出す手助けをしなきゃいけない―

と、プロデュースを名乗り出たそうです。

そんな使命感を感じさせてくれるアーティストをずっと待っていました

主に裏方作業に徹していた小袋成彬の表現者としての真の目覚めに立ち会えたこと、ソロデビューアルバムの完成をこうして皆さんに伝えられる幸運に感謝しています

2018年1月17日、宇多田ヒカルプロデュースで、

エピックレコードジャパンからデビューすること

を発表。

 

同日、デビューアルバム『分離派の夏』からの

シングル「Lonely One feat. 宇多田ヒカル」

リリースしました。

 

かつて、

ゆくゆくは、世界の誰もが知っていて、そして誰よりも期待してくれているレーベルにします。
(今のところ全く想像できないですが!笑 )

とおっしゃっていた小袋成彬さん。

今度はこうおっしゃっています。

私の想像を超えた世界の広がりに、ただ胸を躍らせるばかりである

 

もしかしたら、これで一気にメジャーになるかも

しれません。

 

小袋成彬さんのコメントを抜粋しておきます。

 

私はごく一部の人にはよく知られている程度の編曲者であったが、当時はまだいくつかの仕事を掛け持ちしていた。

家庭を持たぬ人間が日々をこなすには十分なお金と時間があった。

その一方で私は、作編曲という仕事に人生の大義を認められないでいた。

時代性ばかりが持て囃され、芸術への賛美は作品そのものが持つ強固な物語ではなく社会的風動によってのみ与えられた。

時代に花を添えることよりも自己認識を変えたほうが豊かな人生だと気付いたのは、ちょうどロンドンでの「Fantôme」のレコーディングから帰国した直後である。

 一連の認識の変化は、あらゆる自然の機微を美しいものへと変えていた。

見えないものを見ようとすることが耽美ならば、世界はこれほどまでに美しく輝くのか!

自らの複雑な性格がゆえに自らを世界の「分離派」と認め、これまで内なる世界を広げようとしなかった悪習などなかったかのように、恍惚な夏の日々は私をも世界へ溶かしてしまった。

私はもう、単なる編曲者に戻れないでいた。

それから私は突然に、昔の親友を思い出した。

彼がいなくなってから何年経ったのかも覚えていないほどに些細な出来事であったが、それが意味することを明らかにせずにはいられなかった。

あの出来事の意味は明らかだった。

彼は私に「歌え」と言っていたのだ。

これが、本作品の完成を決意した瞬間である。

完成までに長い時間を要した。

本作品は「分離派」として生きた二十六年の弔いであり、慰みであり、癒しである。

 

 

なんだか 太宰治みたい。

話をしたら、熱くなって何時間もしゃべりそう

かな。

 

彼女はいるの?

コムアイさんとは何年間も、ご飯を一緒に食べな

がら近況報告をしあう仲なのに付き合ってはいな

いようです。

 

また、菜々緒さんとも“友達”で、

お金がないときに菜々緒さんの母ちゃんのところに飯を食いに行く

という間柄のよう。

小袋さんのお母さんは高校教師で、菜々緒さんの

お兄さんがその教え子なのだそうです。
(菜々緒さんのお母さんの料理は美味しいそうです)

 

それで、どこかの飲み屋さんで2人が偶然会って

「知ってる…!」

そこから仲良くなり、

たまに会ってたまに話して、定期的に連絡を取っている

そうです。

 

というわけで、彼女情報は掴めませんでした。

 

情報がまだまだ少ないしね。

 

5月1日には東京・渋谷WWWで初の単独ライブ

を行うそうです。

 

どんな小袋成彬さんが聴けるのか、宇多田ヒカル

さんも登場するのか、楽しみです。

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まとめ

ブレイクが本当に楽しみなミュージシャンが

登場しました!

 

曲作りも詞も書き歌も歌い、プロデュースもし、

経営まで考える・・・

そんな人は今までいなかったのでは?

 

小袋成彬さんの今後の音楽が楽しみです!

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