中野友加里は現在フジテレビ社員で出産も?旦那(結婚相手)は誰?

中野友加里


フィギュアスケーターの中野友加里さんの名前を

久しぶりに見ました。

6種類の3回転ジャンプを跳んで、海外では

「クレージーガール」の異名も持っていた中野

さん。

 

いつのまにか名前を聞かなくなり、真央ちゃん

フィーバーの中、すっかり忘れてしまっていまし

た。

 

なんとテレビ局の社員になっておられたのですね。

結婚もされたのでしょうか?

中野友加里さんを追ってみました。

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中野友加里さんのプロフィール

生年月日::1985年8月25日(32歳)

出生地 :愛知県江南市

身長  :156 cm(2009年時点)

引退  : 2010年

*愛用しているリングは両親からもらった
結婚指輪。

 

【元コーチ】

  • 佐藤信夫(2004-2010)[2]
  • 山田満知子[3][2]
  • 樋口美穂子[3]

 

【元振付師】

  • マリーナ・ズエワ
  • 佐藤久美子
  • デヴィッド・ウィルソン
  • リー=アン・ミラー
  • 樋口美穂子

 

【巻き足】

ジャンプの際に、踏みきった脚にもう一方の脚が

からみつく「巻き足」になる癖があり、GOEで

マイナスの評価を付けるジャッジもいました。

 

学歴

  • 椙山女学園大学附属小学校
  • 椙山女学園中学校
  • 椙山女学園高等学校
  • 早稲田大学人間科学部eスクール(大学通信教育)を経て、同大学院人間科学研究科を修了
    (大学入学時から大学院修了まではプリンスホテルに所属)

 

 

スケート歴

兄と6歳上の姉がいる中野さんは、真面目で負け

ん気の強い性格。

 

お兄さんがアイスホッケー、お姉さんがフィギア

スケートをやっていた影響で、友加里さんも自然

にスケートを滑るようになったそうです。

 

 ジュニアクラス時代

6歳で本格的に選手を目指し、朝6時から練習が

あるときは、学校の後も、お母さんが車で迎えに

来てスケートリンクに直行。

片道1時間かかったそうです。

宿題は休み時間に済ます。

まさにスケート漬けの日々。

 

高校卒業まで名古屋のグランプリ東海クラブ

所属していました。

山田満知子、樋口美穂子らから指導を受けて

います。

 

1998-1999シーズン

全日本ノービス選手権Aクラスで優勝。

初の国際大会のトリグラフトロフィーノービス

クラスでも優勝しました。

 

1999-2000シーズン

3世界ジュニア選手権の公式練習中に、回転アク

セルを回りきって着氷!

 

2000-2001シーズン

JGPで2戦続けて優勝し、全日本ジュニア選手権

でも初優勝。

 

2001-2002シーズン

世界ジュニア選手権銀メダルを獲得。

 

シニアクラス時代

2002-2003シーズン

ISUグランプリシリーズ初戦の中部ブロック

大会で3回転アクセルに成功。

 

スケートアメリカでは伊藤みどり、トーニャ・

ハーディングに次いで3人目となる3回転アクセ

成功(ISU公認記録)!

西日本選手権と全日本選手権では、3回転アクセル-

2回転トウループに成功。

 

冬季アジア大会四大陸選手権では3位となり、

荒川静香さん・村主章枝さんと共に日本人選手

で表彰台を独占しました。

 

2003-2004シーズン

辛いシーズン。

新採点方式で行われたスケートアメリカでは、

3回転アクセルが回転不足と判定されてしまい

ます。

 

旧採点だと、たとえ回転不足でも大技に挑戦する

ことで一定の評価を受けたのに、新採点方式では

大きく減点されてしまうので、得点が伸びません。

そのため、次の試合からは3回転アクセルを避けて

います。

 

2004-2005シーズン

高校3年の時に成長の伸び悩みを感じるようになりました。

その時、母が早稲田大学人間科学部eスクールに進学することを提案してくれたんです。

インターネット環境があれば、いつどの場所でも授業が受けられて、レポートを提出できるので、海外遠征も可能でした。

そして友加里さんは一大決心をし、生まれ育った

愛知県を初めて離れ、上京しました。

練習拠点も横浜に移します。

環境を変え、コーチをお願いしたのが(浅田真央さんらを指導してきた)佐藤信夫コーチでした。

それまで、私は365日スケートの練習を休んだことがなかったのですが、まず言われたことは「週に1度は休む」ということだったんです。

最初は休むのが恐怖でしたが、少しずつ、映画やショッピングに行くようになりました。

休日の使い方がわかってきても、ショッピング中「次の衣装はこのデザインを取り入れよう」とか、映画中も「この曲はスケートで使えるかも」などと考えてしまうこともありました。

こうして違う視点からスケートを見られるように

なったことは、友加里さんのスケート人生を大き

く変えることになります。

 

2005-2006シーズン

東京ブロック大会で、国内競技会では初となる

新採点方式のもとでの6種類の3回転ジャンプ

成功。

 

スケートカナダでは、新採点システムの下で初め

3回転アクセルに成功し表彰台に載りました。

佐藤コーチに師事してから2年目で如実に成績が変化し始めたんです。

自分でも「変わった」と思えるようになりました。

怪我により欠場の太田由希奈選手に替わって出場

したNHK杯でGPシリーズ初優勝。

GPファイナルでも初出場ながら3位。

 

しかし、全日本選手権で5位にとどまり、トリノ

オリンピック出場はできませんでした。

四大陸選手権では銀メダルを獲得。

世界選手権では3回転アクセルを回避して5位。

 

2006-2007シーズン

GPシリーズではファイナル進出を逃しました。

全日本選手権では3位。

 

日本学生氷上競技選手権大会で3連覇を達成。

冬季アジア大会では村主章枝さんに逆転して

初優勝。

 

東京開催の世界選手権では開会式で選手宣誓を

行い、競技でも2年連続の5位に入っています。

 

2007-2008シーズン

東京ブロック大会3回転アクセルに成功し、

4連覇を達成。

 

その後もスケートカナダ、ロシア杯、GPファイナ

と立て続けに3回転アクセルを決めています。

 

全日本選手権は2年連続で3位。

3年連続代表となった世界選手権ではスタンディン

グオベーションを浴びる好演技で4位になりました。

 

私は自分にスケートの才能があると思ったことが正直ないのですが、「努力するのも才能」と佐藤コーチに言われて

その言葉が、スケートをする上でも、大学を卒業する上でも大きな支えになりました。

 

2008-2009シーズン

もう選手としても長くはないと感じた友加里さん

でしたが、まだ自分に成長を感じ、大学院進学を

選択てスケートを続けるも、成績は下降し始めて

いきました。

 

GPシリーズスケートアメリカ、NHK杯で3回転アク

セルを回避。

 

GPファイナルでは3回転アクセルに挑んだものの

回転不足となり、その後もジャンプにミスがあって

5位。

 

全日本選手権はSPで首位に立ちますが、フリーで

ジャンプのミスが続き5位。

四大陸選手権、世界選手権いずれの代表にも選ばれ

ませんでした。

その後ユニバーシアード優勝しています。

 

2009-2010シーズン

20歳の時に「ベテラン選手」と呼ばれたのですが、女子フィギュアスケーターの現役引退は大学卒業時の22歳前後が一般的です。

24歳を迎えた時、もうスケート人生は長くはないだろうと思っていました。どれが最後の試合になってもいいと思い臨んだ最後のシーズンでした。

友加里さんはジャパンオープンで3回転アクセル

に挑むも転倒し、左肩を亜脱臼してしまいます。

過去の自分に追いつかず、ジレンマに陥っていきました。

2009年、2010年は本当に苦しかったですね。

 

その後はジャンプの着氷ミスや回転不足などで結

果が出ず、念願だったバンクーバーオリンピック

の代表にも選出されませんでした。

 

四大陸選手権と世界選手権の代表には選出されて

いましたが、左股関節炎及び左肩亜脱臼の回復が

思わしくなく、両大会共に出場を辞退。

 

バンクーバーオリンピック開催中の2010年2月22日

、既に日本スケート連盟へ引退届を提出したことを

ブログで発表しました。

のちに、

私は10年のバンクーバー五輪出場を逃した時点で体も気持ちも完全燃焼していました

と語っています。


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フジテレビ入社

引退後の道は自分で決めたという友加里さん。

振付師や技術的なことを教えるコーチなど、

スケートに関わる色々な道はあったはずです。

それがなぜテレビ局に就職したのでしょう。

本当に迷ったのはプロスケーターですね。

でも、いつまで滑れるかわかりません。

あとは、解説者やタレントになったとしても、それがいつまでできるかわからないなどの不安が残りました。

 

「スケートしかやってこなかったあなたが働け

るわけない」と周りから言われるも、友加里

んが大切にする価値観は「安定感」でした。

 

そのためには正社員の道は絶対だったのです。

長く働ける場所を考えた時、小さい頃からずっ

と好きなテレビの仕事をしてみたいと思い、

就活に励みます。

就活ではマニュアルや面接時の回答例などに捉われず、自分の意見や意志をしっかり表すことを意識していました。

面接者の方は「フィギュアスケートの中野友加里」という名前を知っている上での面接だったので、特別な視点から見られることもあったと思います。

 

でも「スケーター・中野友加里」とは違う面も

あることを知ってもらおうと思った友加里さん。

 

面接は五輪選考会のかなり前でした。

「もし五輪が決まってメダルを獲った場合、他の

道もたくさんあるのでは?」という質問をされ、

答えたのは

どんな状況になっても、たとえ五輪が決まったとしても、入社できたらテレビ局の一員として働きます。

頑張ります。

 

そしてフジテレビに入社することができたのです。

 

2009年4月に内々定を受け、現役引退後の2010年

4月から一般職であるフジテレビ映画事業局の

「映画製作部」に勤務しました。

 

2012年1月には『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる

希望』の制作ブログを担当したり、 『踊る大捜査線

THE LAST TV サラリーマン刑事と最後の難事件』

アシスタントプロデューサーを務めています。

 

2012年3月11日、スケーターとしては2009年12月

の全日本選手権以来2年3か月ぶりに、安藤美姫

立案によるアイスショー『心を織りなす氷上の

世界 〜 Reborn Garden 〜』に出演ました。

 

同10月からスポーツ局に配置され、『すぽると!』

のアシスタントディレクターとして活動する傍ら、

フィギュアスケートのレポーターも担当。

2014年のソチオリンピック開催時は、AMラジオ局

ニッポン放送『垣花正のあなたとハッピー!』に出演

し、フィギュアスケート競技各種目のレポート・

解説を担当しています。

 

報道される側からする側に

フィギュアスケーターだった頃とは180度反対の

世界に入った友加里さんは、どのようなことを

意識して仕事をしていらっしゃるのでしょうか?

 

インタビューにあたって気をつけていることは、

  • 自分が聞かれたくないことは、まず聞かない
  • 元アスリートの目線を大切にして、他の報道陣が気づかないことをなるべく質問する

ということ。

 

インタビューというのは、話し手と受け手の波長

があって初めて、いいものになると気がついたと

のことです。

だから、選手が演技の後に聞いてほしいことに、どれだけアンテナを張って気づけるかということも大切です。

 

自分が無名だった時は、取り上げてもらうのが

嬉しかったそうです。

 

でも次第に注目されてきて、試合の結果が良く

なかった時は「ちょっとほっといてほしい」と

いう気持ちになることも。

 

私もそういう時のインタビューは、ハラハラして

見ていることがあります。

「かわいそうだからほっといとあげなよ」とか

思ったりしていました。

 

報道する側になって分かったのは、試合で結果が

出なかったときにも取材をされるのが「トップ

選手の証」だということ。

 

羽生結弦さんや宇野昌磨さん、宮原知子さんなど

は常に報道陣に囲まれていますが、そんな状況で

も結果を出し、さらに注目度を高めていく━

まさにトップスケーターの真髄を見た思いがした

そうです。

 

結婚、そして出産

実は友加里さんのもう一つの夢は「お嫁さん」

将来は「主婦の鏡と言われるようになりたい」

の発言もしていたんです。

2015年4月21日、「中野友加里応援ブログ」にて

結婚を報告しました。

 

お相手は7歳年上の36歳の一般男性で、前年の

秋に知人を介して知り合ったとか。

 

もしフジテレビの社員の方であれば、平均年収は

1574万円とも言われています。

「水泳やスキーが得意で爽やかな男性」だそうで

すが、果たして・・・?

10月18日には披露宴を行っています。

 

性格上、中途半端というのができない。

常に100%で取り組んでしまうので、やるならやる、やらないならやらないというタイプなんです。

という友加里さんは、就職にも全力で取り組んで

念願のテレビでの仕事に就きましたし、結婚生活

にもきっと全力で向かってらっしゃることと思い

ます。

 

2016年8月9日、第1子となる男児を出産しました。

 

母として、職業人として、ますます活躍されてい

るようです。

 

現在、著書「トップスケーターの流儀~中野

友加里が聞く9人のリアルストーリー」(双葉社)

が発売中です。

 

 

お子さんにスケートをさせたいとは思っているの

でしょうか?

子供の将来については、本人が決めることだと思っています。

ただ、フィギュアスケートをやるには、この本に書いた通り、家族の協力が不可欠ですし、とてもお金もかかります(笑)。

それでも、本人がスケートをやりたいと言ってくれば、自主性を尊重したいと思います。

ただ、私としては、華やかな表舞台の影で、練習や試合でうまく滑れなかったりしたときなどに、とてもつらい経験をしてきたことが体に染みついています。

本音でいえば、やらせたくないとも思っています。

今振り返っても、つらかったことがたくさん

あるのでしょうね。

 

現役時代一番好きだったプログラム

SAYURI

和の雰囲気は日本人にしか出せないものがあると思うので、そういうのがうまく伝わればいいなと滑っていた。

衣装もすごく気を遣いました。

着物をスケートの衣装にすると、すごく難しいんですけど、帯を取ったり斜めの線をスカートまで斜めに入れたり。

衣装と共に、すごく思い出に残っているプログラムですね。

 

ジャンプだけでなく、ドーナツスピンも綺麗と

定評だった中野友加里さんの演技には、たくさん

のファンがいました。

 

もしオリンピックに出場できていたら、その後の

人生は全く違うものになっていたでしょう。

 

でも今、友加里さんの姿を見ていると、これが

運命だったのかとも思わされます。

最後の最後まで、何がその人を導いて行くのか

本人にもわかりません。

 

フィギュアスケーターの選手生命は短いです。

今華々しく活躍している選手も、そうでない選手

も、皆必死にやってきてその先にまた新しい人生

が待っているのだと、あらためて感じさせられ

ました。

紀平梨花の幼稚園時代は?姉と実家を調査!衣装や振付師の画像あり!

まとめ

テレビでオリンピックの解説やインタビューを

見ていると、何かを本当に一生懸命やったことの

ある方って、とても伝わってきます。

松岡修造さんもそうですよね。

中野友加里さんも、この先きっと、もっともっと

熱いメッセージを届けてくれることと思います!

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