栗城史多は結婚してる?出身高校・大学やエベレスト挑戦の訳を調査!

栗城史多


世界最高峰のエベレストに挑戦していた登山家の

栗城史多くりきのぶかずさんが、体調が悪化して下山する途中、

亡くなられました。

 

ネパールの山岳協会によると、栗城さんは21日の

朝、エベレストの標高7400メートルのキャン

プ付近で倒れているところを見つかり、その後、

死亡が確認されたということです。

 

いろいろと噂があった方のようですが、今日は

追悼の意味も込めて、栗城史多さんについて

調べてみます。

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栗城史多(くりきのぶかず)さんのプロフィール

生年月日:1982年06月09日

死没  :2018年5月21日(35歳没)

出身地 :北海道瀬棚郡今金町

所属  :よしもと興業(2011年入社)

*ウィキペディアには2011年9月業務提携と
あります。よしもと興業のページには”入社”
とあります。

 

学歴

小学校で空手、中学では野球をやるも、スポーツ

は苦手な上、なにをやっても長続きせず、かと

いって勉強も好きではなく、劣等感の塊だったと

いいます。

 

高校:北海道檜山北高等学校

学園祭にとても力を注いでいた高校で、全ク

ラス対抗の演劇があり、それに燃えることで

青春を感じることができたようです。

 

17歳のとき、母親をガンで亡くしています。

栗城さんは現実逃避をして、病院にもあまり

行かずにいました。

 

しかしがんは全身に転移していき、最期の夜、

お母さんは残り少ない力を振り絞って、小さな

声で『ありがとう』と口を動かして眠るように

息を引き取ったそうです。

 

後悔して病院の廊下で泣いた栗城さんですが、

この経験が本当に生きるのは、まだ先のこと

でした。

 

高校卒業後は、東京で1年間アルバイトをして

お金を貯め、札幌の大学に入ります。

 

全ては、彼女に認められる男になるためでした。

彼女が好きな男性の条件は3つありました。

1、車を持っていること。

2、大学を出ていること。

3、職業は公務員であること。

 

まずは公務員になるために、大学に入ったの

でした。

 

ところがとつぜん『2年間付き合っていたけど、

あんまり好きじゃなかった』と振られてしまい

ます。

 

栗城さんはショックのあまり、誰にも会わずに

閉じこもってしまいました。

この時のことを「ニート」「引きこもり」と

言われたんでしょうね。

 

でもそうしているうちに、亡くなったお母さ

んのことを思い出した栗城さんは、最期に

「ありがとう」と言った母のようにならなけ

ればいけない、弱音を吐かないで、中途半端

に生きてはいけないんだ、と心に誓ったそう

なんです。

 

大学:札幌国際大学人文社会学部社会学科

大学に通うようになった栗城さんは、彼女が

好きだった山に興味を持ち始めました。

 

そしてある日山岳部の部室の前を通り、

『部員募集』の張り紙を見たことが、彼の

運命を変えていくことになりました。

 

登山の来歴

●2004年6月、大学山岳部に入部して2年で初の

海外旅行で北米大陸最高峰の”マッキンリー”

(6194m)を単独登頂。

 

● 2005年1月、南米最高峰の”アコンカグア”

( 6,959m)登頂。

● 同年6月、 ヨーロッパ最高峰のエルブルース

( 5,642m)登頂。

● 同年10月、アフリカ最高峰のキリマンジャロ

( 5,895m)登頂。

 

● 2006年10月、オセアニア最高峰の”カルステン

ツ・ピラミッド”( 4,884m)登頂。

 

● 2007年5月、世界第6位高峰の”チョ・オユー”

( 8,201m)登頂。7,700m地点からスキー滑降した。

頂上近くで悪天候になって下山した、とのこと。

 

*この時、日本テレビの土屋敏男さんと出会ってい

て、「現地から動画の配信をする」という企画を

持ちかけられた栗城さんは、これを引き受けます。

 

この番組のタイトルが「ニートのアルピニスト、

初めてのヒマラヤ」というものだったため注目を

集めたのですが、実際のところ、彼はニートでも

引きこもりでもなかったそうです。

でも本人はインタビューで、

僕は高校卒業してから実際にニートをやっていたので、そういうタイトルをつけられたんですが、そうしたら全国の本物のニートの方とか引きこもりの方たちが僕のサイトにたくさん集まってきたんですよ。

出典:現代ビジネス 栗城史多「ネット上で僕を叩いていた人が、登頂後に言ってくれたこと」

とおっしゃっています。

 

この注目が、彼に挑戦を続けさせたとも言えるの

ではないかと思いました。

 

● 同年12月、南極大陸最高峰の”ビンソンマシフ”

( 4,892m)登頂。

 

● 2008年10月、世界第7位高峰の”マナスル”

(8,163m)に「無酸素・単独」で登頂したと主張

するが、ヒマラヤン・データベース、日本山岳会

双方から登頂を認定されていない。

(理由は「真のピークに達していなかった」だそう)

 

● 2009年5月、世界第8位高峰の”ダウラギリ”

(8,167m)登頂。インターネット生中継を行う。

● 同年9月、世界最高峰のチョモランマ・北稜北壁

メスナールート( 8,848m)登頂を目指すも、

グレートクーロワールに達せず、体力の限界により

7,950mで敗退。

ラインホルト・メスナー(73歳)はイタリアの登山家、冒険家、作家、映画製作者で、1986年に人類史上初の8000メートル峰全14座完全登頂を無酸素で成し遂げたことで知られています。しかも単独で、工作されていない新ルート(チベット側からの北面未登ルート。最も難易度が高いといわれる北壁「アイガー北壁」)を1人で3日で登頂しているそうです。
彼の登ったルートをメスナールートと言うようです。

*私は山に詳しくないのでよくわからないのですが

エベレスト北壁にグレート(ノートン)クーロワール

と呼ばれるコースがあるようです。

 

● 2010年5月、世界第10位高峰の”アンナプルナ”

( 8,091m)登頂を目指すも、7700mで敗退。

● 同年8月末、エベレスト2度目の挑戦。

南東稜ノーマルルート登頂を目指すも敗退。

この挑戦で栗城隊のシェルパ1人が死亡。

● 同年12月、登山とインターネットを結んだ功績

が評価され、ファウスト大賞(2009年創設、人類

に夢と希望とロマンを与える“ファウスト冒険者”な人物

もしくは団体を、独自の観点で讃える賞)受賞。

 

● 2011年5月、世界第14位高峰の”シシャパンマ”

( 8,013m)の登頂を目指すも体調不良で敗退。

● 同年8月末、エベレスト3度目の挑戦。

南東稜ノーマルルート登頂を目指すが敗退。

この時は同行スタッフであるフリーカメラマン

の木野広明氏がくも膜下出血により死亡。

 

● 2012年5月、シシャパンマ登頂を目指すが敗退。

● 8月末、エベレスト4度目の挑戦。

西稜ルートで登頂を目指したが7700mで敗退。

C2(6400m)地点で、人差し指が凍傷に罹患して

いたにも拘らず登山を続行し、後に両手指9本を

切断することとなりました。

この時は、山でスマホを操作するため、指なし

手袋をしていたために凍傷になったという噂が

流れましたが、いくらなんでもそれはありえない

のでは…。

● 2014年7月、世界第12位高峰の”ブロード・

ピーク”( 8,047m)登頂。

 

● 2015年8月、 5度目のエベレスト挑戦するも

敗退。

 

● 2016年5月、2度目のアンナプルナ、6300mで

敗退。

● 同年9月、6度目のエベレスト登山、7400mで

敗退。

 

● 2017年春、7度目のエベレスト

中国側からエベレスト北壁に挑むとしていました

が、ルートを二転三転し、最終的に5月29日に

ネパール側ノーマルルートの6800m付近まで

登った直後に断念。

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訃報

● 2018年5月21日、8度目のエベレスト単独登山中

に体調を崩し、標高7400m付近より下山。

 

*現地時間の21日午前1時ごろ、標高7400m

から少し降りた場所に張ったテントから「高山病で

気持ちが悪くなり吐いている状態なので、これから

下山する」と無線でベースキャンプに連絡があった

ということです。

それから5時間ほどがたった夜明けの時間になっ

ても栗城さんが無線の呼びかけに反応しないこと

から、1000mほど標高の低いところにいた、登山

をサポートするシェルパ4人が捜索に向かい、現地

時間の午前8時前ごろに体が冷たくなって呼吸を

していない状態で倒れているのが発見されたという

ことです。

栗城事務所の小林と申します。

このようなお知らせになり大変申し訳ございませんが、
エベレストで下山途中の栗城が遺体となり発見されました。

下山を始めた栗城が無線連絡に全く反応しなくなり、
暗い中で下から見て栗城のヘッドランプも見当たらないことから
キャンプ2近くの撮影隊が栗城のルートを登って捜索し、
先ほど低体温で息絶えた栗城を発見いたしました。

ーーーーーーー(中略)ーーーーーーーー

これまで栗城を応援していただき、本当にありがとうございました。

栗城事務所  小林幸子

 

 

なぜ山に登るのか

よく聞かれるのですが、毎回うまく説明できないんですよ。

栗城史多さんはおっしゃっていました。

 

私には、命をかけてまで山に登ろうという気が

ないので分かりませんが、たぶんその人それぞれ

に理由があるのでしょう。

 

それが山でなくても、その人それぞれに、取り憑

かれたようにやるものがあります。

(「全くない」と言う人もいるでしょうが、自分

では気がついていないこともあります)

 

栗城さんの場合、お父様もなかなかの方です。

日頃から「本業は町づくりで、メガネ屋は副業だ。

町に温泉をつくって、お年寄りたちに喜んでもら

いたい」とおっしゃっていたそうなんですが、

栗城さんが小学校5年生の時に、本当に温泉を

掘り当てたそうなんです。

 

なんでも町に伝わる伝説を信じ、それを頼りにして

たった一人で、楽しそうに河川敷を掘り始めたとこ

ろ、その姿を見て手伝う人たちが集まり、数年後に

は本当に温泉を掘り当ててしまったと・・・。

 

この話を聞いて、わたしはちばてつやさんのある

漫画を思い出しました。

 

 

現実にこんな話があるなんて、びっくりです!

 

栗城さんは、町のみんなが明るく作業していたこ

とが忘れられなくて、一人ひとりが夢をもつこと

で自分も家族も、友達をも明るくし、さらには

日本を明るくすることができるのではないだろう

かと思ったと言います。

インターネット中継を実現し、自分と同じようにたくさんの人が持っている「不可能という心の壁」を取り払いたいんです。

できないと思ってやめてしまったら、絶対にできない。
でもそれは、自分の心が決めているだけで、本当はやってみたらできるということが絶対に多いはずです。

 

 

 

結婚は?

高校卒業後に振られた彼女の後は、好きな女性

がいたのかも不明な栗城さん。

結婚はされていなかったようです。

 

あれだけ取り憑かれたようにエベレストを

目指していては、デートの暇すらなかったで

しょうね。

 

批判

栗城史多さんのエベレストへの挑戦は、批判も

たくさんあります。

マスコミへの露出が多く、目立っていたことも

あるでしょうが、専門家からの批判がけっこう

ありました。

 

「単独」と言っても、栗城さんの場合は自分の

荷物を自分で背負うこと、と解釈していたよう

ですが、登山界では、ベースキャンプの先は

第三者のサポートを受けずに登り切ることと

されています。

 

今回の登山でも、21日の現地紙「ヒマラヤ・タイ

ムス」で「シェルパ4人と登頂を目指していた」

と伝えられていました。

 

「無酸素登山」の定義についても、さらにはその

スケジュールをめぐっても、性急ではないかとか

無謀だとかの議論がありました。

 

登山ライターの森山憲一さんは2017年6月9日の

登山ライター森山憲一のブログ

応援する人たちは「次回がんばれ」と言いますが、このまま栗城さんが北壁や西稜にトライを続けて、ルート核心部の8000m以上に本当に突っ込んでしまったら、99.999%死にます。それでも応援できますか。

と心配されていました。

 

年間5千万円もの費用を集めてまでも、何度も

エベレストに挑戦し続けた栗城史多さん。

 

講演会を重ね、それだけでは足りないので、

自ら作成した企画書を持って多くの企業を訪問

していたそうです。

 

そこまでして行って、辛くて大声で泣きながら

登って、凍傷になって指を九本も失くして、

それでも続けてついには亡くなってしまった。

 

無謀なだけで、ここまで人ってできるんだろうか。

やれちゃうものなのかな。

 

私は絶対やらないと思うけど、人は本当に

それぞれだから、わからないね。

 

わからないことに口出しはしないことにしよう。

大好きな(取り憑かれていたのかな?)エベレ

ストで死んだことは、栗城史多さんにとって

悔いのない最期だったのかもしれない。

ご冥福をお祈りします。

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まとめ

お父様の敏雄さんは

自分の好きなエベレストで消えた。

ありがとうございます。

皆さんに助けてもらって、”バカ野郎”とは言えない。

よく今まで頑張ったと思う。

とおっしゃっていたとのこと。

なんともお慰めのしようもありません。

 

お父様が掘り当てた温泉のように、栗城史多さん

の残した映像やSNSや本などが、誰かにとって

プラスの影響を与えることになるといいな、と

思います。

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