井手久美子は徳川慶喜のおてんばな孫!夫・子供や自叙伝を調査!

「徳川おてんば姫」の表紙

作家デビューされたばかりの井手久美子さんが

亡くなられました。

 

95歳でしたから、大往生でしょうけれども、

本を出されてスッキリされたのでしょうか。

 

大河ドラマで『西郷どん』の放映中ということも

あり、なにか歴史上の人物が亡くなったように

思われてしまいました。

 

というのも、井手久美子さんはあの、徳川慶喜

一橋慶喜)のお孫さんだったのです。

 

「えっ!?子孫がいたの?」と驚いてしまった

のですが、そうですよね、いてもおかしくは

ないんですよね。

 

ドラマでは松田翔太さんが演じてらして、とても

イケメンなんですが、

実際の一橋慶喜もかなりのイケメンだったよう

です。

徳川慶喜.

徳川慶喜.

あの「ひいさま」のお孫さんが最近まで生きて

いらしたなんて、なんだか不思議。

 

今日は井手久美子さんについて、人となりや

出版された本について調べてみます。

スポンサーリンク


井手久美子さんのプロフィール

生年月日:1922(大正11)年9月22日2018年6月1日
(享年95歳)

出身地 :東京市小石川区小日向第六天町
(現在の東京都文京区春日)の徳川家の屋敷

江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜の孫。

(唯一存命していた慶喜の孫でした)

2018年6月作家としてデビュー。

井手久美子の顔写真

お父さんは貴族院議員の公爵・徳川喜久

慶喜とその側室・新村信の息子で、慶喜

七男です。

徳川喜久

徳川喜久

井手さんは徳川喜久の四女として生れ、

姉は高松宮喜久子妃殿下

 

  • 慶久の家系は、長男慶光、慶光の長男の慶朝と続きますが、その後は跡継ぎがおらず、家は断絶となっています。

 

徳川實枝子(有栖川宮威仁親王第二王女)。

 

兄弟姉妹

  • 長女:慶子(明治43年1月24日 – 明治43年4月2日)
  • 次女:喜久子(高松宮宣仁親王妃、明治44年12月26日 – 平成16年12月18日)
  • 長男:慶光(大正2年2月6日 – 平成5年2月6日)
  • 三女:喜佐子(きさこ、子爵榊原政春夫人(長男は榊原政信)、大正10年10月29日 – 平成25年11月26日
  • 四女:久美子(侯爵松平康昌長男松平康愛夫人、夫の戦死後井手次郎夫人、大正11年9月23日 – )

 

喜佐子と久美子に関しては、實枝子が里から連れ

てきたお側女中と慶久との間の子という説があり

ます。

 

また、これに立腹した實枝子も歌舞伎役者との間

に子がいたともいいます。

遠藤幸威えんどうゆきたか『女聞き書き 徳川慶喜残照』より

「慶久さまがお妾にお生ませになった二人のお嬢さまは無事育ってお嫁にいらっしゃいましたけれど、實枝子さまの方は存じません」。
ただしこの説の証言者は自称元華族の「松平幸子」という偽名の女性であり、誰なのかは未だ明らかにいなっていない。

作家である遠藤幸威の死後はその正体を探る手立てはもはやなくなったため、歴史学的には証言の資料的価値は限りなく低いとみなされている。

遠藤幸威
元華族。人脈を活かして慶喜の嫁や女中など近しい関係者にその家庭の内情をインタビューして『女聞き書き 徳川慶喜残照』を書いた。
他の著書に『和宮―物語と史蹟をたずねて』などがある。
徳川喜久家家系図

お時間があればこちらをどうぞ

 

 

少女時代

祖父の慶喜が亡くなって9年後に生まれたため

『お写真様』と呼ばれる部屋に飾られた写真を

『おじじ様』と教えられたそうです。

おかか”がおじじ様の好物だったそうです

おお、生の情報ですね。

 

生まれ育った徳川家のお屋敷は、住所が

「小石川区小日向第六天町」なので「第六天」

称されていて、3400坪で約50人が生活していまし

た。

(*3400坪 → 東京ドームの1/4弱)

お姉さんたちと庭で遊んでいたそうですが、

ずいぶん広かったんでしょうね。

想像もつきません。

 

女子学習院に通ったそうですが、車で通学するの

が嫌で、市電で通ったとのこと。

喜佐子 和子夫人 久美子

喜佐子 和子夫人(徳川慶光の妻、会津松平保男子爵の娘)  久美子(右)

外で遊べなかったそうですが、学友と敷地内のテニ

スコートでプレイしていたそうです。

 

お嬢さまらしいエピソードは、乗馬が好きだった

こと。

運動も好きだったのでいつも日焼けしていたと

いうおてんば娘だったようです。

楽しくて夢のようでした。

木に登ったり、おてんばでしたね。

幸せな少女時代ですね。

 

結婚と再婚

18歳(1940年)で侯爵家の長男・松平康愛と結婚

します。

軍服姿の松平康愛

松平康愛

久美子さんは結婚式で十二単(ひとえ)を着たの

ですが、はかまの丈が短く、

(はかまの)中に蚊が入ってきて、かゆくてたまりませんでした。

とのエピソードも。

十二単の例

写真はイメージです

重そう…。

着てはみたいですけどね。

 

すぐに第二次世界大戦が始まり、夫は海軍少尉

として出征し戦死してしまいます。

 

戦後、華族制度は廃止。

戦火を免れた「第六天」は国に物納されました。

 

(第六天の屋敷跡は現在、国際仏教学大学院大学

の敷地になっています)

 

1947年(25歳)、亡き夫と成城高校アイスホッケ

ー部で仲間だった、医師の井手次郎と再婚します。

泌尿器科の患者さんも多く、包茎だ、パイプカットだという言葉も平気になったのですから、人は変わるものです。

息子さんによれば、特殊な生まれでも庶民生活へ

の慣れが早いといった、順応性の高いところが

母・久美子さんらしい強さだとのこと。

スポンサーリンク


子供

井手久美子さんには井手純さんという息子さんが

いらっしゃるようです。

お仕事はわかりませんが、お父さんのあとを継い

でお医者様になっている可能性が高いですね。

 

娘さんもいるようなのですが、お名前はわかりま

せんでした。

 

自叙伝のなかに「長男・長女の誕生と出征」

「娘との別れ」という部分がありますから、

本の中で全て語られているのでしょう。

 

徳川おてんば娘

華族の娘として育った少女時代の体験や戦前

の華族の暮らし、戦中から戦後にかけての

波乱万丈の人生をつづった自叙伝。

 

6月13日に「東京キララ社」から出版されました。

貴重な資料ともなるでしょうね。

13年前から書いていたそうです。

 

昨年は39度の高熱を出すなど、健康面の不安を

抱えながらも、書き始めてからいったん中断して

いた原稿を昨年、頑張って完成させたんだとか。

自叙伝を手にしている井手久美子

写真はお元気な頃の井手久美子さん。

 

長男と一緒に暮らされていて、慶喜の写真とあおい

紋が額縁に入って掲げられ、その下には

「鬼平犯科帳」など時代劇のDVDがあったそう

です。

 

折しも昨年(2017年)は大政奉還150周年

やはり、本を完成させたことで肩の荷がおりたの

でしょう。

 

今年6月7日に体調を崩して入院し、いったんは

体調を持ち直して、出版された著書が話題になっ

ていることを病院で聞き、「ありがたいことです」

と感謝していたそうです。

 

6月末に「家に帰りたい」と希望され、自宅に

戻って1日朝に息を引き取られたということです。

 

長男の井手純氏は

執筆を思い立って十数年。
時間を要しましたが、大政奉還150年となる昨年に書き上げることができました。
体調を崩すことも少なくなかったのですが、本を出すことが心の支えになっていたようです。

と取材に答えておられたそうです。

 

本の内容

第一章 第六天の暮らし
慶喜終焉の地、小日向第六天町/第六天の子供たち/「表」と「奥」の五十人/第六天のお正月/御授爵記念日/おとと様とおたた様

第二章 学校生活
おひい様の学校/「金剛石 水は器」/やりにくい歴史の授業/修辞会、体操会、遠足/御當日/葉山と軽井沢の夏休み/有栖川御流/絵と写真

第三章 結婚と戦争
結婚/新婚生活と戦争の足音/太平洋戦争の開戦/長男・長女の誕生と出征/疎開と空襲/終戦/戦死の知らせ/不思議な巡り合わせと娘との別れ/『精強261空〝虎〟部隊サイパンに死すとも』

第四章 戦後を生きる
再婚・目白での大家族暮らし/横浜の下町で開業/高松宮邸/世が世なら/高輪での暮らし/井手八景/殿下・妃殿下との思い出/第六天再訪

 

井手久美子さんのご冥福をお祈りします。

マリオルチアーノはゴッドファーザーの末裔!山口組引退後は店を経営!

まとめ

井手久美子さんの「お別れの会」は

千葉県君津市山本1535の圓明院で

開く予定だそうです。

喪主は長男・純さん。

日程はまだ未定のようですね。

 

『西郷どん』の時代が急に「ちょっと前なんだ」

と思えるような話題でした。

 

西洋は石造りの建物がそのまま残っていて、

5、600年前のことでも、ついこのあいだのこと

みたいに話すそうです。

 

日本は何でも過ぎてしまえば昔、とほったらかし

にしてしまうような気がするけど、幕末だって

「ちょっと前なんだ」と思えると、かえって

楽しいというか、自分にもルーツがあるって

感じで、ホッとする…。

スポンサーリンク


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です