木村悠は世界チャンプの商社マン?出身高校・大学やwikiプロフを調査!

練習中の木村悠

アマチュアボクシングを統括する団体「日本ボク

シング連盟」問題が大変なことになっています。

 

聞けば聞くほどあまりに酷くて「本当なの?」と

信じられない思いでしたが、ここにきて

ボクシングはムラ社会と言われるがアマチュアボクシングは集落のような狭さだ

とツイッターで発言したのは、

第35代 WBC世界ライトフライ級チャンピオン

木村悠さん。

 

連盟の山根明会長と同じ奈良出身選手を勝たせる

「奈良判定」というのはすっかり有名になったけ

ど、木村さんのアマチュア時代には「日大判定」

だったそうなんです。

(またまた出てきた日大!)

 

この木村悠さんという方、商社マンとプロボクサー

という、まさしく「二足のわらじ」をはいて、

世界チャンピオンになった方。

 

こんな人は他にいませんよね!

どんな経歴なのか、学歴や仕事、結婚しているのか

などを調べてみました。

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木村悠さんのプロフィール

本名  :木村 悠(きむらゆう)

通称  :商社マンボクサー(現役時代)

出身地 :千葉県千葉市

生年月日:1983年11月23日(34歳)

身長  :161cm

リーチ :163cm

血液型 :A型

趣味  :旅行

階級  :ライトフライ級

スタイル:右ボクサーファイター

 

【アマチュア戦績 】

  • 65勝(8KO・RSC)15敗

 

【プロボクシング戦績】

  • 総試合数 22
  • 勝ち 18
  • KO勝ち 3
  • 敗け 3
  • 引き分け 1

 

【受賞歴】

  • 第37代日本ライトフライ級チャンピオン
  • 第35代WBC世界ライトフライ級チャンピオン
  • 2016年 日本プロスポーツ大賞 功労賞
  • 習志野市市政功労者賞
  • 千葉市市民栄誉賞

 

経歴と学歴

幼少期

小学校・中学校の頃はサッカーをしていたのです

が、もともと身体は大きくない上に足もそれほど

速いわけではなかったので、中学生になった頃に

「プロになるのは厳しいな」と自分で悟ったそう。

 

ボクシングとの出会い

木村さんの入った中学は荒れていて、サッカー部

でキャプテンになったものの、部員を束ねること

は難しく、ある日彼らと喧嘩をしてボコボコに

されてしまったそうなんです。

 

そんな中学校2年生の時に、テレビのドキュメン

タリー番組を見てボクシングという競技を知り、

「これなら自分にもできるんじゃないか」、

そして何より「強くなりたい」という気持ちで

ボクシングを始めることに。

 

まずは近所のスポーツジムでダイエットする

主婦に交じってボクササイズを始めました。

 

するとなんと、そこにドキュメント番組に出

ていたボクサーが!

まさしく運命の出会いです!

 

彼とは特にミット打ちでコミュニケーションを

深め、マンツーマンでのレッスンや、ビデオ鑑賞

での研究など、かなりお世話になったといいます。

 

彼にボクシングの強豪高校でもある習志野高校

勧められ、入学してボクシング部へ。

 

習志野高校時代

とにかく毎日強くなることを実感できる素晴らしい練習環境だったので、毎朝5時半の始発電車に乗り7時から行う朝練も、全く辛いとは感じませんでした。

初試合は入部して半年後の千葉県でのオープン戦。

初本番は力を発揮できなかったそうですが、試合

にたくさん出るにつれて慣れていきました。

 

そして関東大会優勝、インターハイ3位、

国体準優勝という成績を残しています。

 

1年後輩に粟生隆寛(元WBC世界フェザー級王者、

元WBC世界スーパーフェザー級王者、世界2階級

制覇王者。2007年引退)がいます。

 

法政大学時代

全国で優勝する事を目標に法政大学へ進学した

木村さんは、大学1年で全日本選手権ライトフラ

イ級で優勝。

想いは叶うと実感しましたね。

しかし2~4年生ではチャンピオンになれませんで

した。

 

アジア選手権に出る資格をかけた予選でも負け、

日本代表になれずにオリンピック出場の夢も

叶わず。

全日本の補欠として1ヶ月合宿に参加した際に、負けた相手の練習パートナーをしたときは落ち込みましたね。

 

敗因について木村さんは、気持ちの面で

「挑戦よりも守りに入ったことが大きかった」

と分析しています。

 

プロになった後も、この経験が大きく影響して

いるように思います。

 

プロ時代

大学卒業後はプロになることを決めていた木村

さんは、世界チャンピオンを輩出し強いボクサー

が数多く在籍する帝拳ジムに入門しました。

 

そこは大学時代からスパーリングなどで練習に

行っていた所でもありました。

 

順調に勝ち進んでいましたが、2008年6月21日、

6戦目でプロ初黒星。

 

ショックで、「このままではいけない、自分を

変えなければ」と迷っていた時、社会人となった

大学時代の友人たちに会い、社会にもまれて成長

した姿を見て、自分とのギャップを感じたそう。

ボクシングは精神性の強い競技で、性格、人間性そのものが出る競技なので社会に出て自分を鍛えようと決意しました。

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商社マンとして修行

帝拳ジムに入った当時は、そこでスポーツジムの

インストラクターもしていた木村さんですが、

ボクシングの練習は長時間ではなく短時間に集中

してやるのが特徴なので、1日のスケジュールが

キツいということはなかったそうなんです。

 

そこがそもそもすごい所だと思いますね。

 

就活の時は、パソナスポーツメイトに登録して派遣

の仕事もしていたそうです。

 

そこで株券を電子化するにあたり、投資家から集め

た株券を数えるという事務的な仕事をしながら、

正社員になるため就活を行っていました。

 

植松エンジニアリングセンター株式会社

就職したのは、電力や通信に関わる工事で使う

材料を取り扱う会社で、技術営業を行っていた

そうです。

営業のイメージ写真

本当にしっかりビジネスマンだったんですね!

社会人経験のない自分にとっては、上司への報告や会社のルールを守るということ自体が慣れないことだったので、最初は何もできずに常に怒られてましたね。

 

木村さんは取引先の会社を訪問して打ち合わせも

行い、今まで見たことのないCADや鉄材の特徴に

ついても勉強したそうです。

会社に入らなければ知ることができなかった常識を、しっかりと身につけることができました。

 

また、営業として円滑に業務を進めたり、仕事を

獲得したりするために相手の立場に立って物事を

考えるという経験は、自分がどう仕掛けるかに

よって相手にどう影響を与えられるのかという

分析力に直結し、ボクシングにも役立ったそう。

 

更に、仕事で綿密にプロセスを組むという経験は

減量にも役立ったというんです。

 

何日までに何キロ減量しないといけないという

明確な目標を感覚だけでなく、堅実にプロセスに

していくことができたそうです。

さらにボクシングをコミュニケーションの材料と

して使い、他の営業マンとは違う手法でお客さん

を増やすことも。

 

会社が営業経費として自分の出る試合のチケットを

何枚か購入してくれて、「お客さんにチケットを

配ってもいいよ」と言われることもあったため、

本当に見にきてくれる人もいたとか。

 

こうして、出勤前に走り、会社に行き、退勤後は

ジムに通うという規則正しい生活リズムを作り、

様々なことを吸収するために経営者交流会や勉強

会にも参加していたという木村さんですが、

ボクシングでは2年のブランクを経て、ようやく

再起を果たしました。

 

商社マンボクサー誕生

2010年3月29日、小山健太(とよはし櫻)を判定

で降し再起。

 

2014年2月1日、井上尚弥(大橋)の返上による

日本ライトフライ級王座決定戦として日本ライト

フライ級2位の堀川謙一(SFマキ)と対戦、2-1の

判定で制して初のタイトル獲得。

次は世界戦。

リサーチすると、日本チャンピオンから2年後に

世界チャンピオンになるケースが多いとのこと。

この時木村悠さんは32歳。

 

2015年6月20日、日本ライトフライ級王座を返上

し、最初で最後の世界線への挑戦を決めます。

 

相手は勝てないと言われていた選手。

見返してやろうという気持ちでした。

絶対不利の予想の中、意識が飛んでKO負けになる

寸前までいったそうですが、奇跡的な大逆転で

勝利し、世界チャンピオンとなったのです。

 

2016年3月4日、初防衛戦で敗戦。

「ボクシングはもうやりきった」と感じた木村悠

さんは引退を表明しました。

 

引退後

引退後は生涯をかけてスポーツ選手が活躍できる環境作りを行いたいと思います。

とおっしゃっていた木村悠さんは、ボクシングの

ために始めた仕事は辞め、次のステップに進もう

と考えたそうです。

 

そして多くのアスリートにきっかけを届けたいと

いう気持ちで、株式会社FiNCへ入社。

 

実は入社前からFiNCで配信しているアプリのアド

バイスをしていて、引退後にアスリートサポート

の仕事で声をかけられたそうなんです。

 

この会社はヘルスケアのベンチャー企業で、アス

リートがキャリアアップしていくための支援を

行うアスリートサポート室長として支援、アプリ

開発を行い、メデイアにも出演。

講演会や子供達への授業なども行なっています。

 

ボクシング界に苦言

7月27日付で、日本オリンピック委員会(JOC)、

スポーツ庁、日本スポーツ振興センター(JSC)

などに提出された告発状。

 

JSCからリオオリンピック代表の成松大介選手に

交付された助成金240万円が、山根会長の指示で

無関係の2選手とともに不正に3等分されたことや、

公式戦で特定選手を意図的に勝たせる判定を審判

に強要していたことなど、12項目の不正をあげて

います。

 

木村悠さんのインタビューから。

当時の連盟会長は日本大学の元監督で、日大選手には『日大判定』と言われるものがあるほど優遇されていた、というのはありました。

選手の間でも噂レベルではなく、日大判定があるのを前提に試合をしていたんです。
自分と同じ出身の選手を優遇する点では、『奈良判定』と近いものはあります。

当時の会長というのは、日大ボクシング部元監督

川島五郎氏(11年5月死去)のことだそうです。

 

しかもプロに行った選手は『アマチュア追放』の

ような扱いになるとか。

 

今のオリンピックは、テニスやバスケットやゴル

フだって、プロが出てますよね。

 

でもボクシング界では古い日本特有の

『暗黙の了解』があるらしい…。

 

2012年のロンドンオリンピックで、日本代表とし

て48年ぶりの金メダルを獲得した後、プロに転向

した村田諒太選手(32)については、山根会長

と大騒動になり、連盟の理事会は村田選手に

「引退勧告」を決議したそうです。

 

木村悠さんのブログに、このような記述が

ありました。

 

判定の基準とは…

2017年05月21日 11時18分10秒
テーマ:★試合に向けて

昨日の村田諒太の世界戦の判定には驚きました。

帝拳ジムのメンバーと一緒に見ていましたが、ダウンも取り途中から村田ペースだったので安心して見ていました。

 

しかし、

判定を聞いて驚愕。

 

相手は確かに手数は出ていたけど、

ガードの上だし、クリーンヒットはほとんどありませんでした。

逆に村田のパンチは明らかに効いていたしダウンもありました。

 

ボクシングの採点基準は、

有効打、手数、ペースとなります。

 

それに加えて

ジャッジがどちらを基準にしてみていたのか?

何を基準にポイントをつけていたのか?

ジャッジのスタイルの好み?

などに左右されます。

 

結局のところ人の主観によるので、

判定が割れることはもちろんあります。

 

しかし、今回の採点は納得できません。

相手のジャブと手数を有効打として、

ポイントにしたのでしょうか。

世界戦に賭ける選手の思いが分かるからこそもどかしいです。

 

 

東京オリンピックにもボクシングはあるんですね!

オリンピックでのボクシングって、私は全く意識

していませんでした。

 

一生懸命やっている人には、本当にごめんなさい

です。

だけどそのくらい、アマチュアボクシングって

マイナーですよね。

今回はマイナスの事件で注目されてしまったけど、

これを機会に、2020東京オリンピックに向けて、

ボクシングが盛り上がるといいんじゃないかな。

 

今回の件は、まだまだこれからのようですから、

さらに注目していきたいと思います。

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まとめ

ボクシングの選手は90%がバイトしていると

いいます。

 

まあプロの世界は、だいたいなんでもそうだとは

思いますが、木村悠さんは商社マンボクサーとい

う、異例中の異例。

 

オリンピックの選手だって、みなさん苦労して

続けていらっしゃるんですから。

 

スポーツや芸術など、古典芸能でもなければ

キリギリス扱いの日本ですが、オリンピックや

Wカップだって、とても生きる勇気や励みを

与えてくれます。

 

木村悠さんはこれからの日本のスポーツ界を変え

ていく貴重な人材になるのかも。

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