アレサフランクリンの経歴と代表曲!旦那(結婚相手)や子供は? 

アレサ・フランクリンの若い頃の写真

“クイーン・オブ・ソウル”又は“レディ・ソウル”
アレサ・フランクリンが2018年8月16日9時55分、
膵臓がんのため、亡くなりました。
76歳でした。

アレサはデトロイト州にある自宅でホスピスケア
を受けていましたが、スティーヴィー・ワンダー
や米公民権運動の指導者ジェシー・ジャクソン、
1978-84年に結婚していたグリン・ターマン
見舞いのため訪れていたそうです。

クリントン元米大統領は8月13日夜、

(妻の)ヒラリーとわたしは今夜、アレサ・フランクリンの音楽を聴きながら彼女のことを考えている。
彼女の音楽はわたしたちの過去50年間の人生で重要な位置を占めてきた。

とツイート。

今夜はアレサ・フランクリンの歌と共に、彼女を
振り返ってみたいと思います。

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アレサ・フランクリンのプロフィール

アレサのキャリアは50年以上。

「チェイン・オブ・フールズ」「シンク」
「貴方だけを愛して」「ナチュラル・ウーマン」
「リスペクト」(オーティス・レディングの曲)
など多くのヒット曲があります。

  • 1987年、女性アーティスト初のロックの殿堂入り
  • 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第1位
  • 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第9位
  • 「Q誌」(イギリスの月刊音楽雑誌)の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第2位

 

名前  :Aretha Louise Franklin
生年月日:1942年3月25日 – 2018年8月16日(76歳没)
出身地 :アメリカ合衆国・テネシー州メンフィス

*デトロイト育ち

ジャンル:ソウル, R&B, Gospel, ジャズ
活動期間:1956年 – 2018年
レーベル:コロムビア, アトランティック, アリスタ

 

【共同作業者】

  • ザ・スウィート・インスピレーションズ
  • キャロリン・フランクリン
  • アーマ・フランクリン

 

父親:レヴァレント・C・L・フランクリン

初めてレコードに録音された説教師として有名。
「100万ドルの声」と言われるほどの人気と
尊敬を集め、彼の教会にはB・Bキング

 

マヘリア・ジャンクソン

 

クララ・ワード

 

ジェイムス・クリーヴランド

などのスターたちもよく訪れていて、アレサには
彼らの歌声がお手本になったのです。

 

 

 

 

 

母親:バーバラ・シガーズ・フランクリン

母親のバーバラは、マヘリア・ジャクソン
『全米で最も優れたゴスペル歌手のひとり』と
称賛するほど優れたシンガーでした。

五人の子供を産んだバーバラは、アレサが6歳の
時に家を出てしまいます。

別居の理由は夫の不貞行為が原因で、1940年には
メンフィスの信徒で当時13歳の少女に 子供を生ま
せるという事件も起きました。

アレサは結婚前の10代で2人の子を産んだため、
子どもは父との間に出来た子供ではないかという
噂も絶えなかったようです)

バーバラは子ども達に会うためたびたびデトロイト
に戻り、子どもたちも夏休みにはバッファローを
訪れて母親の家に泊まっていました。

しかしアレサが10歳の1952年3月7日、心臓発作に
より34歳で亡くなってしまいます。

母親のいない子供達は、父親もしょっちゅう家を
開けていたため、雇い人たちの手で育てられたも
同然だったようです。

寂しい少女時代のアレサにとって、唯一の楽しみ
が、教会の聖歌隊で歌うことでした。

彼女は12歳で教会の聖歌隊のソロをとるように
なります。

18歳の時で高校を中退すると、ニューヨークに
行き本格的なヴォーカル・トレーニングを受ける
ように。

1961年、コロムビア・レコードからデビューしま
すが、ポピュラー・シンガーとして売り出され、
売り上げは伸びませんでした。

1966年11月、アトランティック・レコードに移籍
すると、彼女の特徴であるゴスペル歌唱を活かし
てヒットを連発し、『ソウルの女王』として評価
されていきます。

1967年4月、オーティス・レディングのカヴァー
「Respect」で全米1位を獲得し一躍スターに。

1972年のゴスペル・アルバム 『Amazing Grace』
は200万枚以上売れて最大のヒット作となり、
『最も売れたゴスペル・アルバム』として認定
されています。

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【代表曲】

  • 「チェイン・オブ・フールズ:Chain Of Fools」(ドン・コヴェイ)
  • 「ナチュラル・ウーマン:(You Make Me Feel Like) A Natural Woman」(キャロル・キング)
  • 「小さな願い:I Say A Little Prayer」(バート・バカラック、ハル・デヴィッド)
  • 「Bridge Over Troubled Water」(邦題:明日に架ける橋, サイモン&ガーファンクル)など。

 

しかし1970年代後半にディスコブームが起き、
アレサも影響を受けてヒットから遠ざかって
しまいました。

 

飛行機嫌い

実はこれにはアレサ飛行機嫌いも関係していた
ようなんです。
『 海外公演をしない』ことになっちゃうから。

原因として、1967年にオーティス・レディング
飛行機事故で死亡したことがあげられています。

当時のアレサオーティスと人気を二分する程で、
そのオーティスの事故はショックだったよう。

 

 

でも実際はその後も何度か乗っていたみたいで、
NYタイムズ (2007年11月4日) のインタビューで

1983年に、アトランタとデトロイト間の飛行機に乗ったんだけど乱気流で怖かった。
だから、あれ以来飛行機には乗ってないわ。
でも、 キリストに由緒あるパリやエジプト(特に中東)に行きたいって思ってるから、また飛行機に乗ろうって思ってるの!

と答えています。

海外公演もわずかですが、1977年(フランス)、
2003年(ロンドン) と行っていました。

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人気復活

1980年にクライヴ・デイヴィスアリスタ・
レコードを立ち上げた時に請われて移籍し、
ポップ (ロック) とのクロスオーバー路線で
人気が復活。

1987年、女性初のロックの殿堂入りを果たします。
(2011年にはゴスペル殿堂、2012年にはR&B殿堂
入りしています)

1998年のグラミー賞オープニングでは
パヴァロッティの代役として
「Nessun Dorma (誰も寝てはならぬ)」
を歌いました。

その時のではないけど、素晴らしいです!⬇️

 

体調不安

1990年代前半から、アレサの体重は増え始めて
いました。
禁煙したのがきっかけらしいです。

2003年頃からは体調不安説が出てきます。
同年のアルバム『So Damn Happy』を最後に
引退を表明。

2004年3月に入院しましたが、これは抗生物質に
対するアレルギー反応だと後にわかりました。

その後は引退を撤回して、ライブなどで精力的
に活動!

2005年、大統領自由勲章を受章。
(米政府が文民に与える最も名誉ある賞)

2008年、Rolling Stone誌で”史上最高のシンガー”
に選ばれ、
2010年、アポロシアターの殿堂入り。

グラミー賞受賞回数は20回で、女性としては21回
受賞のアリソン・クラウスに次ぐ記録です。

2010年6月、タイム誌でのインタビューで、
食生活に注意していると明かしました。

5年前に声の変化に気付いて、医師に相談したの。
そしたら、酸の逆流を増加させていたので、食べ物を変えることになったの。
一番はコカコーラを控える事だった。
あとは至近距離でしか話さなくなったわ。

2010年8月、ステージから落ちた際、肋骨を折る
怪我で入院。

その後肋骨と違う痛みを感じて病院に行った際、
医者から「予定を全てキャンセルして入院するよう
に」と言われて 2010年10月~2011年4月まで休養。

具体的な症状は明らかにされなかったのですが、
末期の膵臓ガンと噂されていたのです。
2010年12月には手術が行われ、順調に回復。

手術後に38Kgも体重が落ちた姿が公開され、
胃バイパス手術を受けたとも言われました。

2014年5月、オバマ大統領就任式に出席して、
すばらしい歌声を披露。

キャロル・キングの喜びようが印象に残って
います。

彼女の最新作は2017年の『ア・ブランニュー・
ミー』で、このリリースをもって引退することを
発表していました。

 

 

トリビュート・コンサート

報道によれば「クライヴ・デイヴィス・プレゼン
ツ:ア・トリビュート・トゥー・アレサ・フラン
クリン」と銘打ったトリビュート・コンサート
11月14日に開催される予定だそうです。

長年、私たちに刺激を与え続けてくれた「クイーン・オブ・ソウル」アレサ・フランクリンの美しい人生にしばし感謝の意を表しましょう。
ミュージシャンとしても人間としても素晴らしい彼女の記憶は私たちと共に永遠に生きるだろう。 ラヴ・ポール(ポール・マッカートニー)

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未発表曲

アレサの未発表曲はたぶんどこかにあるだろうと
いわれています。

たぶんというのは、アトランティックレコード
倉庫が1978年2月8日に火災に遭い、アレサ
チャールス・ミンガスレイ・チャールズなどの
アウトテイクを含む5000巻以上のセッション
テープを失ったそうなんです。

音質は良かったけれども、当時のLPレコード
収録しきれなくてお蔵入りしていたらしいのです
が、ああ、もったいない…

 

結婚

アレサは10代で未婚の母となり、1960年中盤に
彼女のマネージャーだったテッド・ホワイト
結婚しました。

テッド・ホワイトとアレサ・フランクリン

しかしこの夫は平気で暴力を振るう男で、1970年
に離婚。
彼に麻薬も覚えさせられたと言われています。

この当時(1979年)、父親のC.L.フランクリン牧師
が強盗に撃たれ、昏睡状態に陥る事件がありました。

アレサが不振に陥ったのは、これらのことも関係
していたようです。

1977年、俳優のグリン・ターマン(Glynn Russell
Turman)と結婚しました。

グイーン・ターマンとアレサ・フランクリン

が、1983年に離婚。

2012年1月、69歳になったアレサは、長年の友人の
男性、ウィリアム・“ウィリー”・ウィルカーソン氏
と婚約しました。

ウィリアム・“ウィリー”・ウィルカーソンとアレサ・フランクリン

(結婚は)6月か7月を考えてる。いいえ、妊娠はしてません!

 

でもなぜか3週間後には白紙に戻しています。

ウィルとわたしは物事があまりにも早く進んでいると感じ、熟慮すべきことをがあることに気付きました。
今の時点では結婚式を挙げる予定はありません。
プライベートで繊細な事柄ですので、これ以上のコメントもしません。友達からの多くの励ましの言葉に感謝します。

その後結婚はされていないようです。

 

兄弟姉妹

兄:セシル・フランクリン

アレサのマネージャーを務めていました。

 

姉:アーマ(1938-2002)

1968年に録音した『Piece Of My Heart』
グラミー賞の新人賞ノミネートされましたが、
大きな成功は収めていません。

アレサのバック・コーラスをしながらチャンスを
待ちましたが、 1970年代半ばに音楽業界を離れて
います。

 

妹:キャロリン(1944-1988)

1963年に最初のレコーディングをした後、
歌手として活動していましたが、
成功しませんでした。

しかしキャロリンはソングライターの仕事も始め、
アリサと一緒に歌った「Ain’t No Way」(’68年)が
ヒットしたり、アレサのアルバムにも曲を提供。

『Spirit In The Dark』(’70), 『You』(’75)など)

その後1976年に音楽業界から引退しています。

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息子達

アレサには4人の男性との間に4人の息子がいます。

4人の息子たちの写真

 

クラランス・フランクリン Clarence Franklin、Jr.(父:Donald Burk)

アレサが12歳の時の子供。

  • 生年月日:1955年1月28日 (年齢 63歳)または1956年3月28日(62歳)

アレサの父親であるレヴァレント・C・L・フラ
ンクリンの名前にちなんで名付けられました。

父親のレヴァントクラレンスの父親なのでは
いかと長いこと疑われていましたが、後に
Donald Burkだったと判明しました。

 

エドワード・フランクリン Edward Franklin父:Edward Jordan)

写真はケカーフとエドワード。

生年月日: 1957年1月22日 (年齢 61歳)
アレサが15歳の時の子供。
祖母のレイチェルとエマに育てられました。

 

テッド・ホワイト・ジュニア Ted White Jr. (父:Ted White)

生年月日: 1964年 (年齢 54歳)

プロのギタリストで、テディ・リチャーズ
名乗り、母のライブコンサートでバックを務めた
こともあります。

これは2006年、ハンブルグでの演奏。

 

ケカーフ・カニングハム Kecalf Franklin Cunningham(父:Ken Cunningham)

Ken Cunninghamケン・カニングハムと、母Aretha Louise Franklinアレーサ・ルイース・フランクリン

のイニシャルを合わせて名付けられました。

生年月日:1970年3月28日(年齢 48歳)

 

ケカーフの娘Victorie Franklinヴィクトリー・フランクリン

アレサの指導を受けていたと言われています。

 

アレサ・フランクリンの自伝映画「Aretha: From These Roots」

アレサは自伝を出すことにとても慎重でした。
波乱の人生だったからかもしれません。

1999年にようやく『フロム・ジーズ・ルーツ』
(原題)出版することができました。

本人の大反対にあいながらも、彼女以外の視点で
描かれるべきだという意見に賛同してくれた人々
(従姉妹や、姉のアーマの娘、義理の姉)に支援
を受け、完成したといいます。

 

 

2008年ごろよりアレサも参加して、伝記映画が
制作されるとの話が何度もありました。

 

アレサとしては

  • ハル・ベリーに自分を、
  • 父親C.L.フランクリン牧師役デンゼル・ワシントン
  • 友人のスモーキー・ロビンソン役にテレンス・ハワード
  • 姉のアーマ・フランクリン役にニア・ロング
  • アレサの兄でマネージャーだったセシル・フランクリン役にブレア・アンダーウッド

をオファーしていたそうですが、なかなか実現
しなかったようです。

2018年になってやっと、ジェニファー・ハドソン
主演で製作されることが明らかになっています

製作・出資はMGMで、

ストレイト・アウタ・コンプトン」の
スコット・バーンスタインと、
音楽プロデューサーのハーベイ・メイソン・
ジュニアがプロデューサーを務め、
監督と脚本家はこれから探すというのが
最新情報でした。

完成が楽しみです。

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まとめ

二番目の旦那様は、破局に至ったとはいえ、
とても優しい方だったようです。

最期に自宅まで来てくれていたんですもんね。

今日はアレサ・フランクリンの曲を聴きながら
彼女を偲ぶことにしましょう。

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