輪島の横綱時代や引退後の逸話!性格は?プロレスは強かった?

横綱時代の輪島

第54代横綱・輪島が亡くなられた!
え、まだ70歳だったんですか?
もっと上、80歳はすぎておられるかと思ってた。

女性蔑視が解決されない限り「もう相撲は見ない」
つもりですが、輪島さんのことは子供心にもよく
覚えていて、ショックです。

なんだか、本当に時代が終わった感があるなあ。
横綱が横綱らしかった時代。

貴乃花は新時代の横綱という風格だったけど、
それ以前の、相撲が「日本の国技」という感じが
強かった時代のことです。

今日は輪島さんを偲んで、豪快な、面白い逸話を
集めてみました。

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輪島大士のプロフィール

本名  :輪島 博(わじま ひろし)
四股名 :輪島 大士
愛称  :蔵前の星、ワジー

生年月日:1948年1月11日
没年月日:2018年10月8日(70歳没)
出身地 :石川県七尾市

身長  :185cm
体重  :132kg(BMI 38.57)

所属部屋:花籠部屋
得意技 :左四つ、寄り、下手投げ
最高位 :第54代横綱

*大相撲史上ただ一人の学生出身横綱

金沢高等学校・日本大学の相撲部で、高校2年時
にはあの大鵬二所ノ関部屋へ勧誘するため実家
まで訪れたこともあるそうです。

横綱・大鵬
第48代横綱・大鵬幸喜。
幕内優勝32回、6場所連続優勝2回、全勝優勝8回。
端正な顔立ちと圧倒的な強さで、日本中を熱狂の渦に巻き込んだ。
「巨人・大鵬・卵焼き」の流行語も生まれ、経済成長の道を歩み始めた日本に夢と希望を与え続けた昭和の大横綱。
(「NHKアーカイブス」より)

日本大学時代、1968、1969年に学生横綱
なっています。

日大卒業前の1969年12月に、当時の花籠部屋
(2012年に閉鎖)に入門。

 

なぜ花籠部屋に?

どうして二所ノ関部屋に行かなかったのかな。
あの大横綱・大鵬にスカウトされたのに。

多分、

ちゃんこ番等の雑務を免除され寝食を日大の宿舎で過ごさせ、食事は師匠の自宅に呼んで食べさせるという異例の特別待遇で花籠部屋に入門

とウィキペディアにありますから、「その条件を
つけるから来てくれ」と言われていたんじゃ?

入門よく年の1月場所に幕下付出で初土俵。
幕下を2場所連続で全勝優勝し、当時の最短記録
で十両入りし、4場所の十両を経て、初土俵から
1年で新入幕。

1972年9月場所後に大関昇進、大関4場所目の
1973年5月場所で全勝優勝し、第54代横綱に。

*史上初めて本名がしこ名の横綱です。

初土俵からわずか3年半のスピード出世!
学生時代からの強さ・特別待遇での入門・異例の
スピード出世が、その後の輪島大士さんの性格と
いうか、逸話作りに、大いに関係したと思われる。

横綱時代は故・北の湖前理事長としのぎを削り
「輪湖(りんこ)時代」を築きました。

生涯戦歴:673勝234敗85休(68場所)
幕内戦歴:620勝213敗85休(62場所)

  • 優勝:幕内最高優勝14回
  • 十両優勝1回
  • 幕下優勝2回
  • 賞 殊勲賞3回
  • 敢闘賞2回

 

初土俵 :1970年1月場所(幕下付出)
入幕  :1971年1月場所[1] 引退  :1981年3月場所[1]

【引退後の活動】

  • 花籠部屋師匠
  • プロレスラー
  • タレント

 

同時に大関に昇進した貴ノ花(貴ノ花利彰たかのはな としあき
とは親友同士でした。
貴乃花光司たかのはなこうじのお父さん)

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死因は?

咽頭がんだそうです。
2013年12月に咽頭がんの手術を受けて発声が
困難な状況になっておられました。

咽頭がんにかかるのは男性が多く、原因のほとん
どが”酒とタバコ”だとか。

2015年11月20日、北の湖前理事長が多臓器不全
のため62歳で死去した翌日には、

俺はもう少し頑張る。
(理事長には)よく頑張ったね、お疲れさまと言いたい。

と文書で弔いのコメントを贈っていました。

晩年の輪島

この頃はかなり痩せておられましたねー。
この写真だけ見たら、かつての輪島大士さんだと
は分からなかったわ…。

 

角界時代の逸話

黄金の廻しと下手投げ!

濃紺が主流だった当時、金色の廻しを使い、
得意技の左下手投げと合わせて「黄金の左」
異名を持っていました。

現在の”廻しのカラー化”の走りです。

下手投げを得意とする力士は大成しないという
ジンクスがあるそうで、それも破ってしまう
数少ない例でもありました。

 

練習でランニング!

当時の大相撲では「力士は走ると腰が軽くなる」
言われていたそうです。

相撲はすり足が基本。
走るというのは「足の裏を地面から離す」ことで、
「基本に反する」という考え方からか、ランニング
はあまり好まれなかったとのこと。

まだ根性とイメージだけの時代ですもんね。

でも輪島さんは他のスポーツ選手と同じように
積極的にランニングを行い(元祖は玉の海とか)、
「稽古」を「練習」と呼ぶなど、あらゆる面で
型破りだったようです。

 

ユルフンの力士?

輪島さんは上手投げを打たれても廻しが伸びて
効かなかったため、「ユルフン力士」として有名
だったそうなんです。

廻し
廻しは基本的に固く締めるもののようですが、わざと緩めに締めたり、柔軟な体質のためにすぐ緩んだりして、廻しを取った相手の力を十分に出させない戦術を使う者もいる
(例:照國、大麒麟、若嶋津、旭富士、武双山、など)
「ユルフン」と呼ばれ、ときに非難の対象となる。

「ユルフン」の対義語として顕著に固く締め込む「カタフン」という概念もある。
(例:2代目若乃花、千代の富士、貴闘力、琴奨菊、など)
多くの場合小兵が廻しを切りやすくするための努力として行う。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

柔道でも帯をわざと緩く結んでおいて、服装を
整える名目で時間稼ぎをする戦術があるようで
すが、最近はあまり直しませんね。

 

私生活が派手

リンカーン・コンチネンタル

三役昇進前から私生活は派手で、場所入りの際には
リンカーン・コンチネンタルを乗り回していたそう。

リンカーン・コンチネンタル

こんなやつ?

アメ車ってめちゃくちゃガソリン代がかかる
んでしょ?

当時は1ドル360円の時代だし、音はでかいし、
そりゃー目立つわ。

 

パーマ!

まだ髷を結う前の髪を伸ばしている時期に
パーマを当てていたそう。

画像はこちら。

 

発言が奔放!

角界内外からたびたび非難されていたそうです。

のちにテレビに出演するようになって露呈しまし
たが、かなり天然だったようですね。

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八百長問題に関係してた?

元大鳴戸親方高鐵山孝之進が「大相撲の八百長
問題」を告発した際に、輪島の行った八百長行為
についても告発!

輪島は(普段の豪遊の影響もあって)金がないため、横綱、大関では一般的な、金銭による星の「買取」が出来ず、その場所で負けてもらった分を翌場所で自分が負ける事で返す「貸し借り」で八百長を行っていた。

と暴露。

人間性についても「とにかくデタラメな男」
「金と女にだらしない」と酷評。

ただ実力自体は否定してはおらず、星の貸し借り
が出来たのも

前場所で借りた星をいくつか返しても、ガチンコで横綱を維持する最低ラインである10勝を挙げる自信があったからだ。

としていて、対戦経験からも
「本当に強かった。」
「14回しか優勝できなかったのが不思議」
と評されています。

 

親方時代

妻の事件

1981年3月場所中に引退し、停年(定年)退職
間近だった師匠から花籠部屋を引き継ぎますが、
1982年4月、妻(師匠・大ノ海の長女/輪島五月)
が自◯未遂(その後離婚します)。

 

 

年寄名跡を借金の担保に!

引退後、妹が経営する料亭の経営悪化や部屋の
関取衆の年寄名跡購入などのため、数億円とも
いわれる借金を背負ってしまいます。

1985年11月、角界では前代未聞の、年寄名跡
「花籠」妹の料亭の借金の担保にしていたこと
が発覚。

日本相撲協会は臨時の理事会を開き、委員から
平年寄への2段階降格処分と無期限謹慎処分を
決議。

結局これが原因で、同年12月に廃業届を提出
しました。

 

花籠部屋の消滅と悲劇

花籠部屋は部屋の継承者を決めることができず
消滅。

所属の力士たちは花籠部屋出身の魁傑が開いた
放駒部はなれごまべやへ移籍。

初代若乃花輪島らの横綱を陰で支えた先代師匠の
妻・中島トミが1986年5月23日の夕刻に首吊り自殺
するという悲劇を生むことに。

プロレスラー時代の逸話

37歳の輪島大士さんをプロレスに誘ったのは
ジャイアント馬場さんでした。

当時の全日本プロレスはファン離れが続いていて
輪島さんの人気が頼りになると考えたのでしょう。

 

全日本プロレスが国技館使用不可に!

追放した輪島全日本プロレス入りに怒った
日本相撲協会は国技館使用を拒否し、以後18年間
も使用できないままでした。

 

試合内容が酷い?

角界入門時と同じように高待遇で迎えられた
輪島さんですが、相撲現役時からの練習嫌い
治りませんでした。

親方の育て方が甘すぎたんでしょうかね〜。
デビュー戦はもちろん一生懸命でした。

なんたって現役を離れていた上に練習不足で、
スタミナが続かない。

一応、黄金の左と言われた腕力を活かそうと考案
された「ゴールデンアームボンバー」という技も
あったのですが(後の大技「チョークスクラム」
大元の技だといいますが)、威力は大したこと
なかったとか…。

さすがに呆れられてファンも離れていきました。

これに怒ったのが元大相撲力士の天龍源一郎。

「その情けない姿はなんだ!俺にそんな姿を見せ
るな!」と言わんばかりに、試合で輪島
コテンパにするのです。

1988年、デビューからわずか2年で引退しました。
いつのまにか消えたという印象。

 

バラエティー番組で大ウケ!

大相撲時代の輪島さんの大ファンだった
とんねる石橋貴明氏のたっての願いで
「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」に出演
した輪島さんは、天然ボケタレントとして大ウケ!

準レギュラーに定着し、相撲時代の彼を知らない
若者にも大流行り。

この番組がきっかけでテレビ出演などの仕事が
増え、収入面も安定していったそうです。

俺ね、タカちゃんとノリちゃんにはすごく感謝してるの。
あの二人のおかげで今の俺があるんだから。
感謝しきれないくらい感謝してるのよ。
この気持ちを忘れたら人生おしまい。

2009年の初場所8日目には、NHKの大相撲中継に
出演。

不祥事で廃業した相撲関係者がNHKの大相撲中継
に出演するのは異例中の異例。

輪島さんが本場所の土俵を観戦したのは、実に
23年ぶりのことでした。

石橋貴明氏のコメント

相撲を見てきて一番大好きな横綱だったので、只々残念です。
4年前、定岡さんと3人で食事したのが最後でした。
今迄一緒に遊んで頂き有難う御座いました。
本当に華のある横綱でした心よりお悔やみ申し上げます。

 

木梨憲武氏のコメント

日本の大横綱にもかかわらずバラエティ番組で何年かご一緒させていただきました。
私たちタレントにもテレビスタッフにもどんな人にもとにかく優しい輪島さん。
いろいろな事を教わりました。ありがとうございました。
心よりお悔やみ申し上げます。

 

現役時代の輪島さんの写真を見ると、やっぱり
かっこいい。
『横綱の中の横綱』のイメージです。

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まとめ

70歳って、今は亡くなるには早い歳です。
今の角界の現状をどう思っていらしたんでしょう。

日本相撲協会の体質の中にずっと入られたはずは
ないとは思うけど、親方としてもし残っていたら、
貴乃花に対してはどうしていたでしょうね。

波乱万丈の人生でお疲れになったでしょう。
今頃、かつての師匠やおかみさんに平謝りして
いるでしょうか。

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