epo(歌手)の経歴と現在を調査!母親からの虐待とは?代表曲と動画あり

泣くいている女の子の白黒写真

ミュージシャンのEPOを知っている人は、
40代半ば以降か、今の彼女の活動を知っている
人だと思う。

まず浮かぶ曲といえば「う、ふ、ふ、ふ、」
「土曜の夜はパラダイス」

デビューしたのは19歳。
日本のポップ歌謡の代表みたいな曲と声で、
とにかく明るいイメージだった。

それが実は「母親からの虐待」を受けていた
なんて、思いもしませんでした。
それもかなり壮絶な━━━

何年か前にセラピストになったと、とある雑誌で
読んで驚いたことがあったのですが、ようやく
訳が分かったように思いました。

今日はEPOさんのその辺りのことや、これまでの
経歴などを代表曲や動画とともに振り返って
みようと思います。

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EPO(エポ)のプロフィール

旧名および出生名:佐藤栄子(佐藤永子)
*出典元によって栄子または永子になってます。
本名:宮川 榮子(みやがわ えいこ/ 結婚後)

芸名  :EPO
*由来は子供時代のあだ名で、”えーこちゃん”と
呼ぼうとした人が、舌がもつれて”えーぽちゃん”
と呼んだことがきっかけ。

生年月日:1960年5月12日(58歳)
星座  :おうし座
出身地 :東京

身長  :168cm
体重  :52kg
血液型 :O型

特技  :催眠療法 カウンセリング
長所  :前向き家族構成:夫 母 兄
ペット :猫
好きな色:赤

ジャンル:ニューミュージック/J-POP

  • 職業
    シンガーソングライター
    全米ヒプノ協会認定催眠療法セラピスト
    全米NLP協会認定マスター・プラクティショナー
    全米タイムラインセラピーマスター・プラクティショナー
(株)eponica Record
0468-77-5653(T)
046-876-0574(F)
お仕事のご依頼は office@eponica.netまで
MUSIC & DRAMA
催眠療法/幼児退行/前世療法/ボイス・セラピー/NLP 御予約お問い合わせ
046-877-5653(t)
046-876-0574(f)
music.drama@eponica.net
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デビュー:1980年(ラジオの音楽コンテスト番組)
デビュー作:Down Town (シングル)

代表作品
1980年 Doun Town
1982年 う、ふ、ふ、ふ
1983年 土曜の夜はパラダイス
1983年 音楽のような風

 

 

EPOの経歴

1975年世田谷区立新星中学校卒業

1978年東京都立松原高等学校卒業。

  • 先輩に清水信之(ノブさん、59歳)がいる。
    キーボーディスト、作曲家、編曲家、ギタリスト。
    ベースやドラムスなども演奏できる。
    元妻は歌手の平松愛理

パーカッショニスト・マック清水は実兄。

  • 後輩に佐橋佳幸(さはし よしゆき、57歳。ギタリスト、音楽プロデューサー。妻は女優の松たか子)と渡辺美里(52歳)がいる。

40年後の2018年126日・28二日間、この
松原高校3人組EPO 佐橋佳幸 清水信之)
が一同に会し、
EPO × 佐橋佳幸 × 清水信之My Generation,
Your Generation
”おとな文化祭』
として特別公演
を行なっています。

1979年東京女子体育大学在学中からセッション
ボーカルとして活躍。

その頃に竹内まりやのシングル「SEPTEMBER」
のコーラス&コーラスアレンジを担当。

 

 

大滝詠一作曲のサントリーレモンのCMソングと
して作られた「大きいのが好き」のボーカル担当。

同曲のコーラスはシャネルズ(後のラッツ&スター
で、後に『NIAGARA CM SPECIAL』に収録された
後、「大瀧詠一 Song Book 1 大瀧詠一 作品集
Vol.1」
にEPO WITH シャネルズのアーティスト名
で収録。

 

 

1980年シュガー・ベイブのカバー曲
『DOWN TOWN』(作詞:伊藤銀次、
作曲:山下達郎、編曲:林哲司・清水信之)
でデビュー。

1980年代半ばには竹内まりや大貫妙子とともに
「RCA三人娘」と呼ばれていました。

 

デビュー曲『DOWN TOWN』は大人気バラエティ
番組『オレたちひょうきん族』のエンディング
テーマに抜擢。

同番組のタケちゃんマンのテーマ曲
「THE TAKECHANマン(タケちゃんマンの歌)」
の作曲(佐藤エポ子名義)と番組のアイキャッチ
も手掛けた。

番組に出演したこともあったが、当時はこの番組に
出演することが精神的にも苦痛だったそう。

同番組の「ひょうきんベストテン」では、笑顔で
なく淡々と歌っていたと言います。
(なんとなく、そりゃあそうだろうなあ、と
思うよ)

 

 

うわー、あった!!

 

1982年-1986年オールナイトニッポン
ジングル担当。

1983年、資生堂化粧品春のキャンペーンCMソング
として発表した「う、ふ、ふ、ふ、」が26万枚の
大ヒット。

EPOを代表する一曲となったのですが、これに
よって固定された“ポップシンガー”のイメージが
一時期は重荷でもあったとのこと。

1984年高見知佳さんに提供した
「くちびるヌード」も、資生堂春のCMソングに。

 

1984年年8月香坂みゆきさんに提供した
「ニュアンスしましょ」(作詞/大貫妙子)が、
資生堂秋のCMソングに。

1987年、NHKの音楽番組『みんなのうた』で、
「バナナ村に雨が降る」が翌月にかけて放映された。

 

1987年9月、渡英。
当時ヨーロッパ最大のレコード会社Virgin UK
契約し、活動の場をLONDONに移しました。

アルバム『FIRE & SNOW』、シングル2作品を
リリースし、1991年3月帰国し、東芝EMIと契約。

これ以降、セラピストの資格を持って、音楽を
ベースに障害者・老人・子供向けワークショップ
を開催したり心理カウンセリングを行うなど、
多様な活動を積極的に行っていくようになります。

1997年4月、テレビCM『爽健美茶』のVOICE
アレンジ、歌唱が認められ、
第18回JAM広告協議会個人賞を受賞。

 

2001年9月、和太鼓集団『鼓童』の和太鼓奏者、
金子龍太郎、モンゴル音楽研究家・馬頭琴・
のど歌の嵯峨治彦らと、『AGURI』を結成。

同年11月、大阪の八尾精神障害者施設にて、
音楽療法ワークショップ講師となる。

2004年より、カウンセリング・スタジオ
『MUSIC&DRAMA』を開業し、セラピスト
として多くの心の問題に関わるように。

2008年12月、催眠療法などをともに行っている、
俳優兼セラピスト・宮川雅彦(みやかわまさひこ)
氏と入籍したことをコンサートで告白。

 

2010年、「EPO×資生堂、黄金の80年代のタッグを
もう一度」
という意図に応え、資生堂のCMソング
として土岐麻子さんに
「Gift 〜あなたはマドンナ〜」を提供。

この曲は「桑田佳祐が選ぶ今年の名曲ベスト10」
(「桑田佳祐のやさしい夜遊び」)第1位に
選ばれています。

2011年、「光になった馬。ーたったひとつのー」
を出版。

 

 

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母からの虐待

膝を抱え込む少年の写真

最近でこそ「毒母」なんていう言葉も聞かれる
ようになり、私自身も悩んでいた母親との関係も
客観的に見られるようになりましたが、当時は
『鬱』という言葉も一般にはありませんでした。

PTSDとか発達障害とかジェンダーとか、そんな
言葉が出てくるのはまだまだ先でした。

そんな1980年に19歳でデビューし、ポップな楽曲
で大ヒット連発。
80年代を代表すると言われたEPO。

時はバブル真っ最中でしたね。

まさか母親から虐待を受けていたなんて、誰も
想像できなかったと思います。

境界性パーソナリティー障害の母親は同性が
大嫌いで、自分の子供であるEPOさんに辛く
当たっていたようです。

小学生までは男の子のように髪の毛を刈り上げら
れ、鏡を見て身なりを直すと激しく殴られる。

子供というのは「自分が悪い」と思うものです。
第一、親に見放されたら生きていけないという
根源的な恐怖感がありますし。

自分の存在を肯定できないまま、私は大人になったのです

それも当然だと思う。

どうも父親は頼りにならなかったみたい。

高校生で音楽活動を始めると、周囲の人間関係に
恵まれたこともあり、気がつくと人気歌手に。

これもきっと母親は気に入らなかっただろう。
こういう母娘は依存状態になっていることが多い
のではないかな。

EPOさんも、20代になっても異様に干渉してくる
母親からなかなか逃れられなかったみたいです。

娘が留守のマンションに忍び込んでは私物を
チェックしたり、娘のありもしない作り話や噂を
近所で流したりする母。

母親の虚言を妄信していた父親。
母親に対する恐怖におびえる毎日を送る娘。
我関せずの兄。

EPOさんのポップな曲は、そんな日々から逃れ
たい思いが作らせていたんだろうか。

母に受け入れてもらいたい気持ちと同様に、周囲の期待に応えたいとの思いだけで歌を作っていましたね

素直な心の叫びというより、必死の悲鳴みたいな
ものだったのかもしれない。

でも皮肉なことに大ヒットしてしまったのは、
時代のせい?

ある日、命の危険を感じるような出来事があり、
しかも父親は全く信じてくれなくて、ついには
急性ストレス障害で倒れて入院。

回復した頃、英国の大手レコード会社との契約が
まとまり、1987年に日本から飛び出したのでした。

ロンドンに行ったら、そのアーティストが純粋にやりたいこととか、コアなエッセンスをそのまま作品にすることで商業ベースに乗っているっていう、アーティストにとっては健康的なミュージック・ビジネスが、その頃のヨーロッパにはあったんです。

ちょうどヴァージンUKと契約したときに、“君らしいものを作ってくれたら僕たちは契約するよ”って言ってくれたんですね。
その一言がきっかけだったんですね。

現地のプロデューサーに「あなたの声質は人の心
を癒やす方に使うべきだ
」とアドバイスされ、
EPOさんはそれが本当はやりたかった音楽の方向
だと気付かされたんですね。

こんなアドバイスをしてくれるプロデューサーが
いるんだ…

明るくポップな音楽は好き。
でも、当時の私を表現したものではなかった。

 

1991年に日本に戻ってくるのですが、この年から
日本ではバブル崩壊が始まったのです。

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裏切り

イギリスからの帰国後に再開した音楽活動は
かつてのポップな売れ線ではなく、人の心に
寄り添うような曲。

ヒットは出にくいけど、心から支えてくれる
ファンは多かったようです。

しかしバブルが崩壊すると、所属事務所の社長と
経理の人が、なんとEPOさんの資産3千万円を
全部持ち逃げ。

親が信頼出来ない分、社長のことはずいぶん信頼
していたようなのに、見事に裏切られたら、
人間不信に陥ってしまうのも無理はありません。

そんな時、友人がカウンセリングを勧めてくれ、
この心理カウンセリングが大きなきっかけに
なったのです。

自分でも心理カウンセラーになることを決意し、
40歳で心理カウンセラーの資格を取得

さらに催眠療法で、子どもの頃からずっと心の中に
しまい込まれていた悲しみを吐き出すことができ、
EPOさんはようやく母親から離れることを決意。

母に振り回される人生は終わり。
自分が幸せになることを自分に許す。

 

44歳になっていたEPOさんは「二度と会わない」
と母親に告げ、関係を断ちます。

ようやく穏やかで幸せな日々を過ごすことが
できるようになったEPOさんは、「同じ苦しみを
持つ人に体験を役立てたい」と、自分を救って
くれた催眠療法やカウンセリングを学ぶため、
46歳で米国の専門大学に入学。

フロリダ州認定セラピスト補完医療施術師
資格を取得しました。

「EPOの気まぐれ日記」から。

2012年9月

●実は、何も失ってはいなかったんだよね

当時、崖だとおもっていたものも、

壁だと思っていたものも、

がめつい事務所の社長さんから、

充分な給料を支払ってもらえてなかったとしても、

4年間ただ働きさせられたとしても、

事務所に資産を持ち逃げされたとしても、

それは、実は、自分の豊かさとは全く関係がないものだったような気がする。

当時は、悔しいとか、悲しいとか、

そんなことを思っていたけれど、

そんな現実に立たされていたとしても、

上に書いた全ては変わらずに持っていたなと思うわけ。

だから、実は、何も減っていないし、

失ってはいなかったんだよね。

そう思える今の自分がいて、本当に幸せ。

 

 2015年9月

●いい本いろいろ〜毒になる親

以前、私の日記で、「母に心を引き裂かれて」〜娘を苦しめる境界性人格障害の母親〜というクリスティーヌ・A・ローソンという心理学者が書いた本を紹介したことを、皆は、
覚えている?
私は、この本にものすごく救われたの。

(中略)

『毒になる親』TOXIC PARENTS〜一生苦しむ子供〜スーザン・フォワード著
という本に出会った。
この本、素晴らしいすっよ!

(中略)

この本の中で、私が一番HItした場所がある。
「許す」ということの落とし穴」

私は、クライアントに絶対に使わない。この言葉。
「忘れなさい」と「許してあげなさい」「気にしないほうがいい」

家族毒を充分に解毒してからじゃないと、
再発しちゃうから。

 

 

 

EPOの現在の活動

現在は沖縄と神奈川県葉山でカウンセリング
スタジオミュージック&ドラマを運営。

2015年、EPOデビュー35周年を記念して、
かつてのようなPOP’S満載のアルバム
『愛を~LOVE IS ON~』発表。

新作に加え、代表曲「う・ふ・ふ・ふ」の初セルフ
カヴァーも収録し、ジャケットは世界的写真家
レスリー・キー氏とのコラボ。

 

 

またオリジナル作品と芝居を合わせたユニークな
舞台『THEATORICAL EP0』など、「声」という
楽器を通じて、現代音楽をはじめ様々なジャンル
のミュージシャンとの、実験的な音楽交流も注目
されているようです。

居酒屋での「流し」、沖縄那覇平和通り商店街
での「大道芸」も定期的に行うかたわら、
ホール、教会、寺、病院、ホスピス、学校など
での”場”や”客層”に合わせたユニークなコンサート
を行なっています。

popsのジャンルを超えたライブのあり方にも
積極的に取り組んでいて、
胎教ライブ
高齢者対象のライブ
子供同伴で父母が聴けるライブ
など、むしろ音楽が生活の中に当たり前に入り
こんでいる状況を作り出そうと(いや取り戻そう
かな?)しているみたい。

ここまで読んでいただいて、ありがとう!

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まとめ

今のEPOさんみたいな音楽や活動が、もっと
広く知られるようになるといいな。

音楽が特別な時に聴くものではなく、生活の
なかに当たり前にあって、年を取っても
踊ったり歌ったりが自由にできるようになると
いいな、とよく思うんです。

沖縄の生活ってそんな感じがして羨ましい。

そういえばEPOさん、10代の頃から沖縄に通って
いて、第二の故郷だとおっしゃってました。

参考までに、家族構成が違うのでEPOさんのこと
ではないんでしょうけど、こんな感じだったのか
な?と思うような記事があったので、紹介して
おきます。

虐待、暴力、錯乱・・・「生まれる前からお前が憎かった」と母にいわれ続けた、ある女の告白Ⅰ

「どうしてママを棄てたの?」母の過剰な干渉から逃げきれなかった、ある女の告白Ⅱ

「母はわたしを愛さなかった」その事実を受け入れ過去を手放した、ある女の告白Ⅲ

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