ルイブライユの生涯と点字を作った訳!なぜキッズに有名?本や漫画あり!

点字

ヤフーの子供向けの検索サイト「ヤフーきっず」
で最も検索された人の1人、ルイ・ブライユって
知ってる?

大人はほとんど知らないんだけど、なぜか
小学生はみな知っている、といっても過言では
ないほどの有名人みたいで、不思議。

今でも話題になってる。

 

小学校の国語の教科書に「調べ学習」というのが
あって、その中にルイ・ブライユさんがいるので、
小学生が彼を調べているらしい。

このルイさんは、目が見えなかった人で、点字を
作った人なんだって!

どうしてそんなすごい発明ができたのか、
どんな一生を送った方なのか、子供達が知ってて
当たり前の人ことを大人も知っておかなくちゃと
思い、調べることにしました。

 

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ルイ・ブライユの生涯

優しそうな顔の方ですね!

【  本  名  】ルイ・ブライユLouis Braille
【生年月日】1809年1月4日
【  死  没  】 1852年1月6日(43歳・パリにて)
【出 身 地 】 フランス帝国 クヴレ
【  墓  地  】 パンテオン
【  職  業  】盲学校教師

 

幼少期

生まれたところは、パリから北東に約40kmの所に
あるイル・ド・フランス地域圏セーヌ=エ=マルヌ
県クヴレ村。

父は馬具職人のシモン、母はモニクといい、
ルイは4人兄弟の末っ子でした。

クブレ村のブライユ生家はこんな家だったらしい。

 

1812年、ルイが3歳の時、自宅にあった父シモン
の工房(馬具や革靴などを製作していた)で遊ん
でいるうち、謝って錐で左目の眼球を突き破って
しまい失明 (● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾

その後、右目も交感性眼炎を起こし、5歳にして
両目とも失明してしまったのです。

交感性眼炎
一方の眼のけがや手術の後に、反対側の眼のぶどう膜に炎症が起きる病気。
異常な細胞の小さなかたまりである肉芽腫ができる、まれなタイプのぶどう膜炎。
一方の眼の穿通せんつう性損傷(鉛筆、ペン、または棒などが眼に刺さるけが)または手術の後、もう一方の眼のぶどう膜が炎症を起こす病気。

 

ぶどう膜炎
ぶどう膜(虹彩、毛様体、脈絡膜)に生じる炎症性疾患の総称。

●目の構造はこちらを参照⬇️
公益社団法人 日本眼科医会「ぶどう膜炎とは?」

 

1800年代初頭のフランスでは、障害のある子ども
に対し教育は不必要とみなされ、一生を不遇の
まま過ごすことが珍しくありませんでした。

目の見える人と同じように働けないものに対して
は冷たかったのですね。
生きることが厳しかったせいなのでしょうか。

 

ルイは頭がよくて意思も強い少年だったらしく、
なにより本を読むことが大好きでした。

両親も理解ある人たちだったようで、家族が協力
し、ルイは生活能力や知識を身につけていきます。

6歳になった時、村にやってきた神父のジャック
・パリュイがその聡明さを見出してくれました。

7歳になると、パリュイ神父は村の学校の校長に
取り計らって、他の生徒と同じように授業を受け
られるようにし、ルイは優秀な成績を収めます。

 

この成績やルイの意欲から、この先も進んだ教育
を受けさせてやりたいと感じた周囲からの援助で、
村の侯爵がパリの王立盲学校に推薦状を送って
くれた結果、1819年、10歳のルイは奨学生と
して入学できることに!

 

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盲学校時代:点字との出会い

クーブレ村から盲学校のあるパリまでは40km以上
もあり、ルイは10歳で親元を離れて寄宿舎での
生活をすることになりました。

よほどの決心がなければできませんね!
それに村の期待を一身に背負っていたのだと
思います。

しかしこの頃はまだ盲学校にも、ルイが読む本は
なかったのです。

 

盲人の教育に関しては、起源前4世紀にあの
アリストテレスがその可能性を説いたのが最初
のようです。

1世紀になって、ローマの雄弁家・修辞学者の
クィンティリアヌス(35年頃~95年頃)が、
盲人の教育と文字書記の方法として木や象牙、
金属の板に文字を浮彫りにしたタベラ(tabella)
の使用を提案しています。

 

余談ですが、もしかしてタブレット(tablet)
語源はこのタベラ(tabella)なんでしょうか?

「板、机、テーブル」などを意味するtable
縮小辞を添えたもから派生した語だと説明され
ていますが、tableの語源がtabellaなんじゃ…

 

その後1517年に、スペインのフランシスコ・
リューカスが、浮出し文字(木片に曲線を彫った
文字)を考案し、1580年にマドリードで生徒に
教えていました。

これを1575年になって、イタリアのランパゼット
が改良し、凹凸両文字を用いてローマで生徒に
教えたそう。

 

1670年、イタリアの発明家フランチェスコ・ラナ・
デ・テルツィ
が、点と線の組み合わせによって
アルファベットを表す方法を考案。

ラナの点字システム

 

1819年、フランス軍の将校「シャルル・バルビエ・
ド・ラ・セール」が、夜間に命令を伝達するための
「夜間読字」を考案しました。

これは戦争での伝令を、12の点を使って発音や
音節、単語などで表すことができるもので、
ソノグラフィと呼ばれました。
(実際には軍隊では使われなかったそう)

 

1819年は10歳のルイがパリの王立盲学校に入学
した年です。


18世紀のパリの街並みをCGで再構築し、馬車や雑踏のノイズを再現したムービー

 

バルビエはソノグラフィが視覚障害者に役立つと
考えて王立盲学校を訪問しましたが、当時の校長
は採用しなかったようです。

その頃の盲学校は、バランタン・アユイが考案
した、アルファベットの形を浮き出させた線文字
(浮き出し文字)が使われていたのです。

ただすらすら読んで文の意味を理解できるかと
いえばまず無理で、盲人が自分で書くことも
できないものでした。

 

その後に校長が変わり、1821年になって試験的に
12点点字を取り入れ、視覚障害者の文字として
利用する試みをはじめました。

ルイ12点点字に出会ったのは12歳。
盲学校の生徒たちは、読みやすい上に自分でも
書くことのできる12点点字に夢中になっていま
した。

 

でもルイは「もっと簡単に読むことができるはず
だ」と思ったのでしょうか。

指先で読むのにちょうどいいサイズと、文字を
表現するための規則性について考えて研究を始め、
アルファベットを表すためには6点でよく、
その方がずっと読みやすいし、自分でも書けます。

1822年頃には、この6点文字が盲学校の生徒たち
の間で大好評になりました。

1825年、16歳のルイは横2×縦3の6点式の、
点字の基本を完成させています。

 

教師時代:ブライユ点字の誕生

1828年、19歳で盲学校の教師になると、楽譜や
数式の書き方も考え出します。

翌年、『点を使ってことば、楽譜、簡単な歌
書く方法-盲人のために作られた盲人が使う本』

を出版

24歳で教会のパイプオルガン奏者にもなっている
ので、音楽も好きだったのですね。

 

ただ「ブライユ式点字」が視覚障害者が使う
「正式な文字」として認められるまでは、長く
かかりました。

一時は盲学校での利用が禁止されたことも
あったとか。

 

今から考えるとまったく不思議な話ですが、
当時の盲学校の先生たちは目が見える人たちで、
彼らには伝統的なアユイの浮出し文字に対する
執着がありました。

それに盲人のために特別な文字を認めると、
見える人との間にかえって壁を作ることになる
という考えがあったようです。

王立盲学校で点字の使用が正式に認められたのは
1844年になってからでした。

 

ルイはといえば、1839年には点字を印刷する機械
の開発を始め、1847年には盲人の友人ピエール・
フランソワ・ヴィクトル・フーソーと協力して
紙に凸点で点線文字を打ち出す装置を完成。

(のちに『ラフィグラフ(Raphigraph)』と命名
しますが、タイプライターが普及されて廃れます)

1854年、フランス政府はようやくブライユ点字
盲人のための書き方として公式に認めました。

 

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ルイの死

王立盲学校はセーヌ川沿いにあり、その建物は
もともと監獄として使われていたもので、
冷たくて風通しが悪く、汚水の悪臭が充満して
いたらしいです。

そんな不衛生な環境にいた500人ほどの生徒たち
は、なんと月に一度しか入浴ができず、病気がち
で寿命が短かったそう。

 

ルイも26歳で肺結核にかかり、一時期クーブレ村
に帰って療養したり、担当の授業時間を減らして
もらったりしながら仕事を続けていたのですが、
1852年1月6日、盲学校の寄宿舎で亡くなりま
した。

ブライユ点字が盲人の文字として政府に認められ
たのはその2年後の1854年のこと。

かつての王立盲学校の跡地には、現在は
パリ第28郵便局が建っているそうです。

 

ブライユ点字は次第に世界各国に広まっていき、
ルイの死後100年にあたる1952年6月、彼の
遺体はクーブレ村からパリに移され、国民的英雄
(ビストール・ユゴー、エミール・ゾラなど)を
祭るパンテオンに葬られました。

 

クヴレ村のブライユ家があった通りは、今では
『ルイ・ブライユ通り』という名前がつけられ、
ルイ・ブライユ通り13番地ルイの生家は
点字博物館となって、世界中の視覚障害者が
訪れる場所になっています。

 

ルイ・ブライユの本

ルイ・ブライユの生涯については、本も漫画も
出ています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本の点字

日本で点字が初めて使われたのは1887年(明治20
年)のことです。

東京盲唖学校の教頭・小西信八は、初めて点字
(ローマ字式)に出会った生徒の感激を目の当り
にし、何とか日本語の点字を作ろうと思いたち
ます。

そして先生も生徒たちも皆で考えあい、1890年
(明治23年)
11月1日、教員の石川倉次いしかわくらじの案が
日本の点字として採用されることになりました。

11月1日は「日本点字制定記念日」です。

日本語の点字

 

まとめ

障害のある方々に対する理解を深めるには、
何と言っても身近にそういう人がいることが
一番。

でもそういう環境の人ばかりではないので、
学校で例えばルイ・ブライユについて学ぶのも
一つの機会だと思います。

「24時間テレビ」の時だけ考えるんじゃなくて。
パラリンピックももっと普通にテレビ放映して。

障害のある人を普通に目にすること、
そばにいることが理解につながるんだと思ってる。

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