小島武夫の伝説・名言やイカサマ動画を調査!息子と孫もプロ雀士?

小島武夫


プロ雀士の小島武夫さんが心不全で亡くなられた

とのこと。

 

また一人、昭和の伝説が逝かれました。

「ミスター麻雀」と呼ばれた小島さん。

 

麻雀のことは全く詳しくない私でも、お名前は

存じておりました。

 

麻雀にはついついいかがわしいイメージも持って

しまっているのですが、小島武夫さんにしても

阿佐田哲也(色川武大)さんにしても、相当に

面白い方々で、数々の伝説をお持ちなのですよね。

 

今回は小島武夫さんの、そういった伝説や名言、

また名人技であったというイカサマについて

知りたくなりました。

 

さらに息子さんやお孫さんもたくさんいらっ

しゃるのですが、後を継いでプロ雀士になった

方はいるのかも調べていきます。

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小島武夫さんのプロフィール

出身地 :福岡県福岡市博多区

生年月日:1936年2月11日 – 2018年5月28日

  • 日本プロ麻雀連盟の創設者(1981年)で、初代会長・最高顧問

同団体内での段位は九段

ムツゴロウさんも含めて数名しかいないとのこと)

【相性・別名義】

  • ミスター麻雀
  • 麻雀プロ第一号
  • 小島先生
  • 先生
  • ふがふが

 

自叙伝に「ろくでなし」があります。

 

 

経歴

幼少期

幼少期は戦争中で、福岡大空襲も経験しています。

裕福な家庭でしたが、戦後になって父親の事業が

失敗し、貧乏に。

 

学生時代

中学3年の時に麻雀やその他の博打を覚えたよう

です。

中学卒業前になって、当時は治安の悪かった

川新地に引っ越しています。

 

青春時代

中学卒業後はパン屋に努めながら雀荘通い。

19歳になるとパン屋を辞め、博多の雀荘で住み

込みとして働き始めました(雀ボーイ)。

 

1日12時間も打ちっ放しの生活で、2年と経たずに

エース級の腕前となり、大阪からきたイカサマ師

を追い払ったりしたそう。

 

そうして博多の雀荘を転々とし、麻雀と女性遍歴

を重ねる毎日を送ります。

 

雀士生活

博多時代

26歳の時、一緒に暮らしていた女性との間に子供

が出来て入籍。

 

でも過程を顧みず、女遊びは止まらず、ついには

27歳の時、奥さんと2人の子供を福岡に残したまま、

1961年に浮気相手と共に東京へ駆け落ち!

 

上京後

神田の雀荘「アイウエオ」で仕事をし始めました。

今度は雀ボーイではなく、飲食物の注文をとったり

卓のトラブルに対応したりという仕事です。

 

1967年、日本麻雀連盟主催「東京牌王位戦」に出場

し、優勝。

これが初めての競技麻雀でした。

それまで彼は、賭け麻雀しかやっていなかったので

す。

 

11PM 出演

東京牌王位戦優勝がきっかけになって、伝説の深夜

番組「11PM」に出演が決まります。

(1968年〜1975年)

 

イカサマ技を公開し、有名な「つばめ返し」もこの

頃に小島さんがテレビで発表したことから有名に

なりました。

 

イカサマ動画

小島さんは、ツモった牌を手牌の中にしまったか

どうかを相手からわからなくする「小手返し」

得意だったそうですね。

 

他のイカサマについての解説も見てみましょう。

 

三丁抜き・牌すり替え・役満積み込み・爆弾積み・ぶっこ抜き

私が公開する手口を、ぜひ皆様の麻雀生活にお役立て下さい

って、冗談なの?本気なの?

 

3枚ずらし 通しサイン コンビ打ち ギリ師 送りこみ

 

元禄積み

 

ドラ爆弾 ドラ返し

 

全く、得意げにイカサマを解説する姿には、博多

においていかれた奥様は怒り狂ったでしょうね。

 

阿佐田哲也との出会い

「11PM」出演で名が売れ出した頃「アイウエオ」

に来た小説家・阿佐田哲也(あさだてつや)さん

と出会いました。

 

この出会いが小島武夫さんの人生を変えていくこ

とになります。

阿佐田哲也

色川武大いろかわたけひろ名義では主に純文学を、阿佐田哲也名義では『麻雀放浪記』をはじめとするギャンブル小説(無頼漢たちを主役に据えたピカレスク小説)を多数発表しているほか、井上志摩夫名義では時代小説などを発表していました。

「阿佐田哲也」のペンネームについては、麻雀で徹夜を繰り返し『朝だ!徹夜だ!』といったことに由来、「武大」の本名は父親が中国の小説『金瓶梅』の登場人物より名付けただそうです。

麻雀を通しての範囲は広く、井上陽水さんやタモリさんなどとは非常に親しい仲になったそうです(でも陽水の歌声をかなり後まで知らなかった)。

若手の麻雀強豪(小島武夫、古川凱章ら)を集めて麻雀エンターテインメントグループ「麻雀新撰組」を結成し、局長に就任。
麻雀メディアに大きな影響を及ぼしていきます。
(この経緯はのちに『小説・阿佐田哲也』に書かれている)

作家の伊集院静さんも、阿佐田哲也さんとの出会いにより、妻で女優の夏目雅子さんとの死別後の大きな哀しみと、自身が陥ったアルコール依存症やギャンブル依存症からの再生を図る姿を、小説『居眠り先生』で書いています。

 

 

1969年(昭和44年)に『週刊大衆』に連載を開始

した阿佐田哲也さんの自伝的小説『麻雀放浪記』

シリーズが、若い世代の圧倒的人気を得て脚光を

浴び、世は第2次麻雀ブームになっていました。

 

第1次ブームは、関東大震災復興後の1923年ごろ。

菊池寛などの有名作家や文化人が麻雀ブームを盛り

上げてました。

 

 

 

 

U-NEXTに映画もあるよ!

ボスと手下と敵しかないギャンブラーの世界に友情を求め、愛を賭け、小さくても独立国であることを望んだ少年・坊や哲。
敗戦直後の東京の片隅でひたすらに麻雀を打ち続ける坊や哲は、さまざまな勝負師との出会いの中で、もうひとつの人生を学んでいく。

麻雀小説の金字塔を映画化。人気イラストレーター・和田誠の初監督作
全編モノクロを選択するなど独自のこだわりを見せ、異業種監督の走りとなった。
真田広之が披露する見事な積み込み技は一見の価値あり。

 

本ページの情報は2018年6月時点のものです。最新の配信状況は U-NEXT サイトにてご確認ください。

 

麻雀新撰組

小島武夫さんはいつしか「麻雀プロ第一号」

呼ばれるようになっていました。

 

阿佐田哲也さんは「麻雀新選組」の結成メンバー

として、真っ先に小島武夫さんに声をかけたので

す。

 

さらに「アイウエオ」の常連だった古川凱章ふるかわ がいしょう

さんにも声をかけ、麻雀新撰組は結成されました。

 

局長:阿佐田哲也、副長:小島武夫、第一メンバ

ー:古川凱章:ということで、近藤勇、土方歳三、

沖田総司だとおっしゃっていたそうです。

 

最初は少数先鋭の部隊を作ってメディアに売り出し

、集団として価値のあるものにしていこうという

考えだったようです。

 

やがてメンバーも増え、メディアへの露出も増えて

大勢を引き連れて歩く姿は、本当に「新撰組」

ようだったとか。

 

しかし、麻雀新撰組は1974年に解散。

理由は、阿佐田哲也さんの体調の悪化。

 

持病であるナルコレプシーと診断されたのもこの頃。

自分の意思とは関係なく寝てしまう病気で、以外に

多いんですよね。

(私の知り合いにもいます)

 

麻雀の最中にもしょっちゅう寝てしまい、「お前の

番だぞ」と声をかけられた阿佐田さんが出前の寿司

をポンと出したというのは有名。

日本麻雀プロ連盟設立

麻雀新撰組解散時、小島さんは36歳。

上京して10年経っており、駆け落ちした女性との

間にも息子ができ、結婚します。

 

そして前の奥さんからのお願いで、博多において

きた二人の娘を引き取りました。

 

自分のせいなのに家の中が居心地悪くなった小島

さんは、今度は女優さんとの不倫が続きました。

(1989年、54歳でまた離婚)

 

そんな中、1981年に「日本プロ麻雀連盟」を立ち

上げ、初代会長に就任しました。

 

しかし麻雀ブームは80年代に入って失速していき

ます。

 

1980年に八百長疑惑が起こり、麻雀界が分裂した

ことが大きいと言われています。

 

これに対し小島さんは「プロ麻雀」という概念を

作って、大会の設立、新人プロの発掘・育成、

イベント開催やテレビ・インターネットでの対局

、麻雀ゲームの開発などを日本麻雀プロ連盟とし

て行っていきました。

麻雀を囲碁・将棋や他のスポーツの地位に押し上げ、麻雀プロとして生活できる世界を作る

このような理想を掲げていたそうです。

その結果「ミスター麻雀」と呼ばれるように

なったのです。

 

日本プロ麻雀連盟の運営から一線を引いた後も

解説で活躍するなどしていました。

その解説時の喋り方が「ふがふが」していたので

ネット上で「ふがふが」と呼ばれるように。

 

ギャンブルとしての麻雀を辞め、飲まない、打た

ないをモットーにして「健康麻雀」への参加も。

 

2011年3月21日には麻雀グランプリMAX-2010

優勝し、75歳1カ月での健在を示していました。

 

55歳で糖尿病を発症したそうですから、ずっと

治療していたでしょうね。


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女性遍歴について

ここまで読んでいただいた方ならお分かりで

しょうが、女性に関してはかなりだらしない

ところがあった小島武夫さん。

 

結果として結婚3度、離婚も3度。

「抱いた女は200人余り」

「本気で狙った女をはずしたことは一度もない」

と豪語していたとか。

 

53歳の時に既婚者の女性と不倫関係になり、2人

目の奥さんと離婚した年に結婚。

 

でも4年後に離婚。

その後別れた奥様は脳梗塞になり、闘病生活中に

入水自殺したそうです。

さすがにそれは相当堪えたと回想していたそう。

 

今だったら#MeTooで訴えるところです。

 

こんな言葉も残しているんです。

女に惚れる時は一生懸命惚れろ。
中途半端なことをしてはいけない。

お前が言うな〜〜〜〜!!!!

 

いや、亡くなった方にすみません。

 

お子さんとお孫さん

子供は3人、孫は2010年12月時点で10人だった

そうです。

 

わかっているお子さんは、釣り人として知られて

いるta氏

ta氏

なかなかのイケメンですね!

お孫さんのうち、プロ雀士になっているのは

日本麻雀連盟所属の小島優さん。

ブログで

5月28日13時45分におじいちゃんが亡くなりました。
誕生日や桜花をズラすあたりがおじいちゃんらしいねって思います。
あたしが頑張るからあとはゆっくりしててね。

おじいちゃんのことが大好きだったのかな。

 

でも彼女と初めて会ったのは22歳の時で、

彼女は既にプロ雀士になっていたようです。

血は争えないというか、いやはや…。

 

お母さんは小島武夫さんの次女だそうですが、

何年も会っていない上に、連絡先も知らず、

孫がいるということすら知らなかったとか。

 

借金王?

経営者していた雀荘を何度も倒産させたことで

借金王としても有名だった小島武夫さん。

 

その上生粋の遊び人。

3000万の収入があっても1億使ってしまう生活。

本を何十冊も出していて、印税だけでも2億は

あるはずなのに、何も残らなくてご本人すら

驚いていたそうです、

 

勝新太郎さんみたい。

 

「近代麻雀オリジナル」で連載されたかわぐち

かいじさんの漫画『はっぽうやぶれ』のモデル

になっているんだそうです。

 

 

九蓮宝燈チューレンポウトウ

「アガると早死にする」と言う都市伝説がある

ほどの最高難度といわれる役満。

 

これを小島武夫さんが8順でツモ和了(あが)った

というのがこちら。

ある人がこの役をアガって皆からご祝儀を貰い、

その帰り道に襲われて死んだことからきている

という説によるそう。

 

「麻雀放浪記」のなかで、九蓮宝燈で上がった

登場人物が直後に死亡するのですが、これが

上記の都市伝説を一気に広めたようです。

つまらない手を和了するぐらいなら、和了しないほうがいい

というのがモットーだったと言う小島さん

ですから、この時は嬉しかったでしょうね。

さすがミスター麻雀

 

それでは、ここまで読んでいただいて

ありがとう!

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まとめ

色々問題もあれど、ちょっと真似のできない

大きな方だった小島武夫さん。

こういう人がだんだん少なくなってきたと

思うんです。

どこか寂しいような、つまらないような

気がします。

 

小島武夫さん、あらためて、

ご冥福をお祈りします。

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